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小説を読もう「ラプラスの魔女 東野圭吾」の言葉表現3

東野圭吾の小説が好きで特に表現のしかたに憧れています。そんな表現をまとめただけの資料です。

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ラプラスの魔女 (角川文庫) 著者 東野圭吾 (著)


会って話したい、と中岡はいった。当然のことながら、羽原は用件を訊いてきた。ここで手の内を見せるのは得策ではないと思ったが、「お嬢様のことです」とだけいった。
電話の向こうで息を呑む気配があった。
「円華の身に何かあったのでしょうか」

黒いスーツを着た女性が現れた。三十歳前後だろうか、スタイルのいい美人だった。学舎内に案内される途中、「あなたもお医者さんですか」と尋ねるのを我慢できなかった。結果は、「事務の者です」と軽くあしらわれただけだった。

山田佳代はやや小太りの、愛想がよさそうな女性だった。
だが甘粕謙人について尋ねると、柔和な表情が途端に硬くなった。
前の病院のことなのでよく覚えていない、といいだしたのだ。

「さあ、それは私にちょっと、わかりかねます……」山田佳代の歯切れは悪かった。

「そうですけど、あの病院は広いですから……」山田佳代は壁の時計に目をやった。明らかに早く解放されたがっていた。

特に脚本家の大元肇は、硫化水素自殺事件の後に甘粕才生と会っている数少ない人物だ。
「あの事件に僕もショックを受けました」たくさんの書籍や資料が山積みになっている机の横で、大元肇は沈痛な表情を浮かべていった。

手帳を眺めながら考えを整理していると、ノックの音が聞こえた。
「どうぞ」中岡は手帳を閉じ、立ち上がった。
ドアが開き、痩せた人物が入ってきた。短く切った髪には、少し白いものが交じっている。顔も細いが、決して貧相ではない。黒縁の眼鏡をかけた穏やかな目元には聡明さが感じられる。頭のいい人間は外観からして違うのだなと中岡は思った。

「その前に、別の人物について質問させていただきたいのですが。かつて先生が手術した患者さんです」
「どの患者でしょうか」
中岡はひと呼吸置いてから、「甘粕謙人という少年です」といった。「いや、もう何年も経っているから、今は成人しているかもしれませんが」
羽原の眉がほんの少しだけ動いたように見えた。しかし表情の変化は殆どない。

羽原は茶を一口啜ってから茶碗を置いた。
「なぜそれをお知りになりたいのですか」

羽原は右手の人差し指を小さく横に振った。
「彼がここを退院したのは、もう何年も前です。今、どこで何をしているのかは我々も知りません」

すると羽原はじっと中岡の顔を見つめた後、口元を緩めた。
「御存じだと思いますが、患者のプライバシーに関することは、本人に無断で外部の人間に話すわけにはいかないんですよ」

「わかりました。では本題に入りしょう。お嬢さんのことです」中岡は座り直し、背筋を伸ばした。「今、羽原円華さんはどちらにいらっしゃいますか」
羽原は黒縁眼鏡に手をやってから足を組み、ゆったりとソファにもたれた。「旅に出ています」

「そうですか。では、お嬢さんの連絡先を教えていただきたいのですが。メールアドレスと電話番号で結構です」
羽原が、すっと背筋を伸ばした。
「教えても構いませんが、ある程度事情は知りたいですね。これはどういう事件の捜査なんですか。なぜ娘のことをお尋ねになるんですか」
唇に笑みを浮かべているが、目には学者らしい冷徹そうな光が宿っていた。

なるほど、と頷いてから中岡は相手の胸元を、指差した。
「今、ここからお嬢さんに電話していただけませんか。そしてもし繋がったら、私に代わっていただきたいのですが」

やがて天才医師は目をそらし、スマートフォンを出した。片手で操作し、耳に当てた。
しばらくして、「繋がらないようです」と羽原はいった。
中岡は無言で右手を出した。本当かどうか確認したいという意味だ。それを察したらしく、羽原は吐息をついてからスマートフォンを差し出した。それを受け取り、中岡は耳に当てた。確かに電話が繋がらない旨を知らせるアナウンスが流れていた。発信表示も間違いなかった。
ありがとうございました、といって中岡はスマートフォンを羽原に返した。

羽原は少し考えを巡らせる顔つきをした後、首を小さく動かした。「わかりました。時間がある時に送っておきましょう」
「できましたら、なるべく早い方が」
「今すぐという意味ですか」
はい、中岡は相手の目を見返した。
羽原は何かいいたそうだったが、唇を結んだままでスマートフォンの操作を始めた。
文面ができあがったらしく、「これでいいですか」と中岡に示してきた。

「最後に一つだけ」中岡は指を立てた。「羽原円華さんと甘粕謙人さんは、どういう関係ですか」
羽原の目が、はっとしたように見開かれた。初めて見せる狼狽の色だった。

しばらくしてから羽原がこちらを……つまり絵画に仕掛けられている隠しカメラのほうを向き、大丈夫だ、とでもいうように片手を上げた。

二人に座ってくれというように右手を上下させ、椅子を引いて腰を下ろした。

羽原は感心したように何度も頷くが、さほど大したことではないと思っている武尾としては、視線を落とすしかなかった。

羽原がそう言った時、武尾の頭の中で小さく閃くものがあった。それは瞬く間に大きくなり、一つの思考となった。あっと声を漏らしていた。

「硫化水素っ」羽原の顔が俄に険しくなった。
桐宮玲が黙って頷いた。彼女の表情にも、ただならぬ気配が漂っている。

羽原は迷うように目を伏せた後、視線を桐宮玲に向けた。
「ケント君のことを話してやってくれ」
桐宮玲は、ぐいと顎を引いた。「どの程度ですか」
羽原は少し間を置いてから、「常識的な範囲で」といった。

桐宮玲が何かを思いついた顔になり、画面上で指を滑らせた。
「やっぱりそうだ。博士、ここを見てください。水城という名の映像プロデューサーが出ています」

羽原は眉をひそめ、唇を結んだ。しばらくして武尾に目を向けてきた。「元プロの意見を聞きたいな」

武尾は空咳(からせき)をしてからいった。「中岡刑事の話で、ひとつ気になったことが」

「彼は、どうやってその情報を掴んだのでしょうか」
「えっ」羽原は不意を突かれたような表情で桐宮玲と顔を見合わせた。

「目撃者が本人に名前を尋ねていた、とか」桐宮玲が珍しく自信なさそうにいった後、首を振った。「ありえませんね。円華さんが、そう簡単に本名を名乗るとは思えない。しかも両方の場所で」

「素晴らしい着眼点だ」羽原が武尾を見ていった。「桐宮君が見込んだだけのことはある。大したものだ」
「恐れ入ります」武尾は頭を下げ、そのまま俯いていた。褒められるのは苦手だ。

博士、と桐宮玲がいった。声に緊張感が込められている。
「見つかったか」
「報道関係者ではありませんが、二つの事故現場を訪れた人物が見つかりました」
「何者だ」
「学者です」
「学者?」
武尾は顔を上げた。桐宮玲が差し出したタブレット端末を羽原が睨んでいる。

コーヒーカップの中身が半分ほどになった頃、喫茶店のドアを開けてスーツ姿の男性が入ってきた。
男性は店内を見回し、中岡がテーブルに置いている紙袋に目を留めた。有名デパートの紙袋だ。それが目印だった。

中岡は立ち上がり、男性を迎えた。「根岸さんですね」
そうです、と少し緊張の面持ちで相手は答えた。刑事を相手にえたことはあまりないのだろう。少し荒くなった息づかいが聞こえてきそうだ。

ウエイトレスが二人分のコーヒーを運んできた。中岡はミルクを入れず、一口啜った。「久々に連絡があったというわけですね。甘粕さんは、どんな御様子でしたか」
根岸はスプーンでカップの中を混ぜながら、思案顔をした。

「原稿はお読みになったのですね」
「もちろん」
「いかがでしたか?」
根岸は口を開きかけて一旦閉じ、唇を舐めてから言った。「力作でした」

「具体的にはどんなことが?大体で結構ですから、内容を教えていただけませんか」
根岸は渋い表情になった。
「まだ発表されていない作品のことを、作者に無断で口外するのはご法度なんです。実話に基づいたノンフィクションとなれば、尚更です。プライバシーに関わりますから」

「捜査のためだといってもだめですか」
根岸は頬骨のあたりを指先で掻いた。

「そういうわけではありません。じつは知りたいのは甘粕謙人さん、息子さんのことなんです。あのブログ後、親子関係はどうなったのかと思いまして」根岸は合点したように首を縦に動かしつつ、「それなら、手記の内容を聞いても意味がないと思い切り」といった。

「それはわかりました。しかし何かの参考になるかもしれませんから、概要だけでも教えていただけませんか。お願いします」
根岸は鼻の上に皺を寄せ、しばらく考え込んでいたが
、やがて不承不承といった表情で首を縦に振った。「余所(よそ)で漏らしたりはしませんよね」
「もちろんです」
根岸はもう一度頷いてから口を開いた。

「ここから先はデリケートな内容なので、決して口外しないようにお願いします。じつは……」根岸は唇を舐めてから続けた。「娘さんの自殺の理由が判明したのです」
「えっ」中岡は手帳から顔を上げた。「本当ですか」

「甘粕さんはタドコロという人に会ったのですか」
「会社を訪ねていったようです。ところが……」根岸は肩をすくめて両手を広げ、小さく首を横に振った。「タドコロ氏はすでに死んでいたのです。首を吊っての自殺でした。しかも三年前です。甘粕さんのお嬢さんが亡くなった約二週間後でした」
中岡は息を呑んだ。「娘の自殺を知り、自らも命を絶ったと?」

中岡は黙って頷いた。根岸の意見に同感だった。

根岸は息を継ぐように胸を上下させると、コーヒーを口にしてから顔を上げた。

「聞いておりません。ただおそらく……」根岸は声を少し落とした。

中岡は持っていたホールペンの頭を根岸の胸元に向けた。「甘粕さんの連絡先を御存じなのですね」

女性が彼のほうを向いた。「そうらしいですね、青江先生」
会ったことはないが、どきりとするほどの美人だった。青江は血圧の上昇を自覚した。
「ええと、あなたは……」
彼女は真っ直ぐに青江の顔を見据え、「中岡刑事を御存じですね」と訊いてきた。

「えっ、これからですか」
はい、といってから彼女は青江の後方に目を向けた。人が近づく気配がしたので、青江は振り返った。大柄で、強面の男がすぐ後ろに立っていた。眉の横に古い傷がある。
それを見ただけで縮み上がった。「何ですか、一体」情けないことに声が裏返った。

「そうですか」桐宮玲は腕時計に目を落とした。「それほど時間は取らせません。少しだけお付き合いいただけますか」

あの、と青江はいった。「私のことは中岡刑事からお聞きになったんですか」
運転席の桐宮玲が頷いた。「羽原博士からは、そう聞いております。それが何か?」

車はシティホテルの地下駐車場に入っていった。ホテルのティールームにでも行くのかと思ったが、エレベーターに乗ってから桐宮玲が押したボタッは、客室のフロアだった。
「部屋のほうが落ち着きますから」青江の内心を見透かしたように彼女はいった。
青江は唾を呑み込んだ。とんでもないものが待ち受けているのではないか、と嫌な予感がした。

「じつは羽原博士は円華さんのことを、とても心配しているんです。全然連絡くれないけれど、果たして元気にしているんだろうか、と。そんな時に中岡刑事が来たものですから、余計に不安になったようです。そこで青江先生から詳しいことを教えていただこういう話になり、時間のない博士に代わって私が伺った次第です」用意しておいた文面を読むようにすらすらと桐宮玲は語った。

「そうですか。円華さんは、友人を捜しているといったんですね」桐宮玲は考えを巡らせるように視線を横に向けた。

「あのう……」話すべきか迷いつつ、青江は口を動かしていた。「中岡刑事は甘粕謙人君についても訊いたと思うんですが」
桐宮玲が、はっとしたように目を見開いた。同時に、今まで無表情で立っていた男までもが鋭い視線を青江に向けていた。
「その名前はどこから?」桐宮玲が訊いてきた。口調が険しくなっていた。

「それは……ええと、わかりません」
桐宮玲は、ゆらゆらと頭を振った。
「隠さないでください。大丈夫、何か問題があった場合でも、こちらがすべて責任を持ちます。もちろん、青江先生から聞いたことは決して明かしませんから」

「なるほど、奥さんをね」桐宮玲は得心がいったように、二度三度と首を縦に振った。