小説を楽しんでプラス

主に私が作成した超短編小説(ショートショート)を記事にします。ほかにお気に入りの小説を紹介します。

小説を読もう「空飛ぶタイヤ 池井戸潤」の言葉表現5

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空飛ぶタイヤ 上下合本版 池井戸潤

小説が好きで小説家の表現の仕方をまとめただけの資料です。

「赤松社長ですか?」
電話の声は、固く閉じ合わさった貝殻を思わせた。「ホープ自動車の沢田です」

「初めてお目にかかります。部長代理の野坂と申します」
男はそういうと体を二つに折ってお辞儀をし、名刺を差し出した。

「宮さんならどうする」
しばらく返事はなく、タバコの煙だけが赤松の視界を横切っていく。
「さて、どうするかな」

「本日はお時間をいただきまして、ありがとうございます」
顔を合わせるなりそういって沢田は深々と頭を下げた。
まあどうぞ、とお茶を勧めた赤松は、「それで、検討していただけましたか」という期待のこめられた眼差しと向かい合った。
「ああ、検討させてもらった。じっくりと」
それから自らの眼差しにぐっと力を込めた。この一ヶ月近く、己の魂を揺り動かし、怒りや悲しみといった感情の全てをその視線に同化させようとしたのだ。
沢田の目が見開かれるのがわかった。その端正な顔立ちが、見えない空気に押されるかのように微かに後方にのけぞり、顔色が薄らいでいく。なにかを悟ってしまった。そんな表情だった。
「お断りすることにした」
その言葉は、凍りついた二人の中間に無造作に投げ出された。

なにか言いかけた沢田は、小さく「あー」といったきり口を開けたまま蝋人形になったかのように停止した。その表情からまるで砂時計の砂が落下していくかのように笑みが抜け落ちていき、形骸化した男の輪郭が露わになっていく。

「やっぱり莫伽だ」
沢田の唇が少しだけ動いて洩れた言葉は、線路を打つ電車の音でかき消された。

「知ってことか。もうこれ以上は付き合えない。後は勝手に吠えるがいい」
捨てぜりふのような言葉を思い浮かべた沢田は、赤松に対する思考を切り捨てた。

進藤はいった。「刑事事件とは違います。そこが大事なんですよ」
その言い方には赤松を支援しようとする意図がくっきりと浮かび上がっている。

一億円という金額を口にしたとたん進藤のぎょろ目がさらに大きく見開かれ、「変ですよ、それは」という感想が洩れる。

進藤は背筋を伸ばして唇を一文字に結び、それから「頑張りましょう」と力強くいった。

返事の代わりに沢田は首を傾げた。

いま沢田の胸に去来するものは、弾けるような喜びでも夢を実現できる胸の高鳴りでもない。サンドペーパーのようなざらついた感覚だけだった。純粋でも透明でもない、割りきれない感情ー

沢田が人事部の浜崎を訪ねたのは、その翌朝のことであった。
そのフロアに足を踏み入れた沢田をめざとく見つけた浜崎は、作り笑いを浮かべて足早に近づいてきた。

沢田はいった。「先日の件、お受けしようと思います」
どんな反応をするかと思った浜崎は、その瞬間、ぐっと右手を突き出して握手を求めてきた。

「ありがとうよ」
長男の頭をくしゃくしゃに撫でたとき、こみ上げてきた涙に夕景が滲んだ。

吉凶を告げる占い師のような口調になった宮代に、赤松は苦笑した。

「実は社長、今日はその逆の話で伺いました」
湯飲みを口に運びかけた手をとめ赤松は相手を見た。
「逆とは?」
「当行の融資を返済していただきたい」
言葉が出なかった。
手にしていた湯飲みをゆっくりとテーブルに戻し、田坂を見つめ返す。

「私はね、社長、債権保全を専門にしてきた銀行員だ」
田坂はいい、額に皺を寄せて前かがみなった。

そういうと後は頼んだといわんばかりに、くるりと背を向ける。

デスクに戻った井崎は、机上のカレンダーを眺めた。
日付を追った井崎の目は、週明け月曜日、「19」の上で急ブレーキがかかったように停止する。

まだ暗い午前6時には起きだし、玄関から新聞をとってきて広げる。疲れはまったくとれず、鉛のような塊が胃の底に沈んでいるような気がした。

「なんでなんだ」
その言葉は、まるで別人がささやいたかのように赤松の唇からこぼれた。

黒田は、背の高い革張りの椅子に深々と体を埋め、濁った目を赤松に向けた。

三橋の名前を出したときだけ、まるで微細な電流でも感じたように狩野の表情が引きつったように見えたが、それも一瞬だった。

ホープ自動車のリコール隠蔽をなんとか証明したいといった赤松の意見に対して、高森は、冷静な距離感とでもいうべきものを感じさせる態度をとった。

赤松は顔を上げ、黙って続きを促した。

「反論したいのは山々なんですがね……」
相沢の表情が曇った。「社長がもう止めとけというんで」
「どうしてですな」
思わず問い詰めると、相沢は赤松の背後に視線を泳がせた。その様子から、相沢自身、社内の対応に不満を持っていることが察せられる。

相沢はふいに口を閉ざし、剛直そのものの視線を赤松に投げる。

部屋を出てエレベーターの前で待つ。
それにしてもいったい何の用だ?
高幡は持ち前の仏頂面で、白くなった靴の先とエレベーターの階数表示を交互に眺めつつ考えた。しかし具体的な考えが纏(まと)まる前にドアが開き、ごつい体躯(たいく)の赤松が現れた。

「そうだったのかー」
榎本は呟くと、当てのない眼差しを赤松の斜め上の虚空に投げる。