小説を読もう「吹雪に死神 伊坂幸太郎」の言葉表現
死神の精度 伊坂幸太郎 (著)
朝の六時過ぎであるが、太陽の位置も分からない。
「さっぱり晴れねえし、気が滅入るからカーテン閉めろよ」と後ろから声がした。英一という名前の、三十代の男だ。銀縁の眼鏡をかけ、樽を腹に入れたような肥満な体型をしている。職業は分からないが、怠惰で無責任な、ようするに人間らしい人間に見えた。
「おまえさ、千葉って名前だっけ」眼鏡を人差し指で持ち上げながら英一が、私に絡んでくる。
「俺たちはもとから、この洋館で宿泊する予定だった。招待状も来た。けれど」顎のたるんだ肉が喋るたびに、揺れる。「おまえは違うじゃないか」
真由子の眉が一瞬だけ、動いた。引きつった笑いを浮かべて、「そんな」と呟いた。本音からすれぱ、馬鹿な、とでも言いたかったのかもしれない。
「携帯電話が繋がらない場所が日本にあるだなんて」真由子はそれが最も恐ろしいことであるかのように、絶望的な声を出した。
「グラスが二つということは、もう一人、誰かがいた、というわけだよな」その誰かをいぶり出すかのように、英一が全員を見渡した。「そいつが、ワインに毒を混ぜたのかよ」
「で?」権藤はまばたきもせず、見つめてきた。偽りを口にしたとたんに噛み付いてくるような、目の見開き方だ。
「だって、凄く声が響きましたから」真由子は、その時の驚きを表現するつもりなのか、胸に手を当てていた。仰々しい、と言えば仰々しい仕草だ。
「この香草焼きって苦手なんです。食べてくれませんか?」と囁いてきたのだった。その言い方は丁寧な依頼のようだったが、裏側には、自分の頼みごとが断わられるわけがない、という確信じみたものも隠れていて、私は好ましくは感じなかった。
それは何気ない意見に過ぎなかったのだろうが、私以外の全員が青ざめた。「犯人がこの家に?」と真由子は頬に手を当てる。
「どうしてこんなことに」と彼女は両手で顔を覆った。
「大変です」と嘔吐するように言った。
揺れる腹を抱えて、考え込むような顔をしている。
「まあ」彼は眉をあげた「だな」
ほどなく田村聡江が、「英一さん、旅行会社に勤めているんです」と言った。覚悟を決めたかのような力強さと、諦めの表情がどちらも浮かんだ。
「いったい犯人は誰なんですか」<童顔の料理人>は堪えていた感情が噴出したのか、高い声を発した。唾が床に飛ぶ。
死神の精度 伊坂幸太郎 (著)