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人生も後半戦

人生も後半戦になったら、これまでの生き方に後悔することもあります。しかし、後悔しても仕方ない。この先楽しく生きるためにいろんなことに挑戦

小説を読もう「火の粉 雫井脩介」の言葉表現

小説が好きで、表現をの仕方まとめただけの資料です。

火の粉  雫井脩介 (著)

「ええ、十時くらいですか」紀藤はかすかな緊張感を言葉尻ににじませて答えた。

「その時間からよく散髪屋が開いてましたね」
勲が言うと、紀藤の口から弛緩した息が洩れた。頭の後ろを照れたように撫でる。
「家内に切ってもらったんですよ。襟足が左右でバラバラなんです。鏡で見ると苛々しますよ」

給湯室脇の鉄扉を開け、法廷までの専用通路を歩く。法衣が擦れる音と、革靴のソールが床を叩く乾いた音だけが鳴り続ける。

池本亨は被害者家族の妻、的場久美子の実兄だ。鬼瓦のような顔をした骨太の男ながら、その佇まいは影が差しているように見える。

「あと三十秒です」
ストップウォッチを見ている訟廷管理官が無機質な声を出した。

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火の粉  雫井脩介 (著)

勲はその間、改めて傍聴席の野見山を見た。また視線が合い、野見山は頷くより小さく首を動かしてみせた。

胸を反らせるようにして椅子の背に身体を預け、腕を尊大に組んでいる。三つぞろいの濃紺色のスーツは彼のトレードマークだ。

今にも皮肉が出てきそうな片側に歪んだ薄い唇も相変わらずだ。

「はい……」武内は浮かない顔をこくりと動かす。

「そんな」勲は武内が吐露した沈鬱(ちんうつ)な苦悩を軽い笑いで切った。「そんなことまで他人の目を気にする必要はありませんよ。自分が暮らしやすい生活を選ぶべきです。違いますか?」

「それより」と勲は自分に向けられた話を打ち切った。

尋恵が思わず後ずさりしたところに、隣の家のテラスのサッシが軽やかな音を立てた。男が顔を覗かせる。
一瞬、冷たい眼をして陰気そうに見えたその顔は、溶けるように柔和な笑顔へと変化した。

別に苦手なタイプだというのではない。どちらかといえば親しみやすい男だ。
そうではあるけれど……。
勲は心の何かがうろたえるのを感じていた。

雪見は和室の押し入れにある段ボール箱から、シャボン玉セットを見つけ出した。
くすぐったいような軽やかな気持ちでそれを手に取り、押し入れを閉めた。

「幸い、大事には至りませんでしたし……」
そう言って、義母は武内に一言も返そうとしない雪見を仕方なさそうに見やった。それにつられるように、武内も視線を雪見に移す。その時……雪見の冷たい感情を一瞬で察したかのように、彼の眼に陰々とした影が差した。ほんのわずか、眼が警戒するように細められた。

それでも眠れなかった。尋恵はだるい身体を再びベッドに横たえた。
それでも眠れなかった。身体中に不快な熱がこもっていて、苛々の虫が多発的にうずいた。起き上がって喚き散らしたい衝動をどうにか抑えて、布団にくるまっていた。

「お父さん……ちょっと私、病院に連れていってほしいんだけど」
ネクタイを解いた勲に尋恵が言うと、彼は片眉を下げた。

「いえいえ」武内はさらりと受け、雪見とすれ違う。
「今の男……」武内は横顔で言った。「危険ですよ。関わらないほうがいい」
思わず武内の後ろ姿を目で追った。彼は何もなかったように歩いていく。
風ではない何かが、雪見の背中を撫でて通り過ぎていった。

「じゃあ……また今度」和人君の伯母は、陽炎(かげろう)のようにゆらりと笑って言った。

この日は夕方まで煙のような雨が降り、どちらにしろ雪見が元気であっても公園遊びは無理な空模様だった。

話ながら、稲川は尋恵の肩越しに会釈を送った。振り返ると俊郎が立っていた。

「あのさ、お前、今日から下で寝てくれよな」
出し抜けに言われて、雪見は俊郎を見返した。彼は重心が傾いているような立ち方で腰に手を当て、苦々しげな顔をしている。表情と態度によって、人はこんなに遠くに見えるものかと思った。どんな感情も透過せない煙幕が二人の間に張られているような寒々しさがあった。

池本は頭を働かせているらしく、握りこぶしを閉じたり開いたりしながら苦しそうな表情を見せ始めた。
「でも、武内も当時その場にいたんでしょ?」

「それだ!見えた!」池本は電気が走ったように背筋を張った。

あの事件の真犯人が池本である可能性を武内が指摘したくだりでは眉をぴくりと動かし、喉の奥から小さな唸り声を絞り出したが、それについても何かのコメントを残すことはしなかった。