小説を楽しんでプラス

主に私が作成した超短編小説(ショートショート)を記事にします。ほかにお気に入りの小説を紹介します。

バラ色の人生をあなたに

f:id:sujya:20181002162941j:plain

 プロローグ

 私は山崎幸子といいます。ごくごく平凡な28歳、OLで独身。不自由なこと特に無し、それなりに幸せな毎日を過ごしていますが……。しかし……、

 周りの誰かが幸せになる、と聞くと急に自分が恵まれていないように思ってしまうことがある。
 同僚が出世すると聞くと妬んだり、友人が結婚すると知ると羨ましく思い、あせりを感じたり。
 これまで自分は平凡で幸せだと思っていたはずなのにだ。

「自分は自分、他人は他人だよ」「マイペース、マイペース」「他人と比較するのは良くない」等と言う人もいるけれど、あせったり、妬んだり、羨ましく思ったりする気持ちが生まれてしまうと、そう簡単には消えるものではない。
 ただ、その気持ちは悪いことばかりではないかもしれない。その気持ちが、これまで漠然と過ごしてしまった無駄な時間に終止符を打ってくれることもある。そして、より良い人生へと行動を起こす起爆剤になることもある。



 先輩の結婚話

 私は休憩中に母親の作ってくれたお弁当を食べていた。母親は私と違って料理が得意で、毎日父親と私のお弁当を作ってくれる。栄養バランスや彩りを考えてくれたお弁当は、お弁当箱を開けた瞬間に食欲がわき、食べても本当に美味しい。
 会社の人達は、私がお弁当を作っていると思っているようで、私がお弁当をひろげていると「おっ、弁当か、いいお嫁さんになるよ」と言ってくれる。最初に、自分で作っていないと、否定していなかったので、今さら「お弁当は母親が作ってくれてるんです」と言えなくなってしまった。いつかは母親に料理を教えてもらわないといけないなと思っているが、そのいつかは、多分結婚相手が見つかってからになるんだろうな、と何となく思っている。
 そんな栄養バランスのとれたお弁当を食べていても、二十代も後半になると週末の疲れがとれないのか体がだるい。食べ終わったら、午後からの仕事のために少し居眠りでもしようと思っていた。
 周りを見渡すと、私以外も疲れがとれない人が多いようで、テーブルに伏せている人、腕を組んで俯いてる人、中には天井に顔を向けて池の鯉のように大きく口を開け、腕を垂らして、いびきをかいてる人もいる。
 月曜日ということもあるのだろう、少し気だるい空気が流れ、会話がはずむテーブルも少なかったのだが……、例外もあるようだ。

「だからね、ちょっと~、聞いてよ、キャハハハ」
 右端のテーブルから甲高い笑い声が聞こえてきた。疲れて目を閉じている人達からすれば耳障りだったかもしれない。私も耳障りに思い、笑い声のする方向へ視線を向けた。向かいのテーブルで腕を組んで俯いていた男性社員も顔を上げ、声のするテーブルの方を睨み舌打ちをした。
 ここは共有の場だから、大声出すのも居眠りするのも自由なのかもしれないし、共有の場だから自由でないのかもしれない。
 声のするテーブルには先輩の美和さんと結花さんが向かいあって座っていて、美和さんがいつも以上のオーバーアクションで、前に座っている控えめな結花さんを圧倒しているようだった。美和さんは前のめりになり、結花さんは椅子の背もたれにピタリと背中をつけ背筋を伸ばし座っていた。結花さんは、周りの人に気をつかっているのか、美和さんの話に集中できないのか、視線が定まらず鳩のように首を動かしていた。結花さんの笑顔はひきつっているようだった。美和さんの紅い唇が激しく動き、だんだん大きくなっていくように見えた。いつも明るく元気な美和さんだが、今日は特に元気そうだ。テーブルを手のひらでトントンと叩いたかと思うと、今度は倒れそうな勢いで椅子の背もたれにもたれかかった。動きを見ているだけで上機嫌なのがわかる。
 しばらくすると二人の会話が終わったようで、美和さんは椅子から立ち上がり、結花さんの肩をトントンと叩き軽く手をあげた。
「結花、ありがと、またね」
「うん、またね」
 結花さんの肩がストンと落ちたように見えた。
 その後、美和さんは、私に向かって手を振ってきた。
「えっ」思わず声が出たが、私も手を振り返した。美和さんは手を振りながら、次の獲物を見つけた猛獣のように、私に向かってやってきた。居眠りは諦めた方がよさそうだ。
「よっ、幸子、何疲れた顔してんのよ」
 美和さんは右手でテーブルを叩いて、私の前に座った。
「美和さん、お疲れさまです。お昼は、もう済みましたか?」
 あくびを堪えながら返した。
「最近はダイエット中よ。幸子は、いいなぁ。ダイエットなんて気にしなくていいし」
 前のめりになり、私の顔を覗きこんできた。
「そんな事ないですよ。最近、運動不足で、ヤバイと思っているところです。ほら」
 私はそういって、顎を突きだし顎下の肉を引っ張ってみせた。
「そんなの全然、大丈夫よ。これ見て」
 美和さんは、立ち上がりお腹の肉を両手でつまんで上下に揺らし、紅い唇を大きく開けて笑った。
「ところでさぁ、今日、仕事終わってから時間ある?ちょっと、一杯行かない」
 さっきのダイエットの話は、何だったんだろうと思った。
「美和さん、ゴメンなさい、今日は母の誕生日で、帰りにプレゼントを買いに行かないといけないんです。お茶くらいなら付き合えるんですけど」
「ふーん、じゃあ、アルコールは、やめとこ。終わったら、駅前のカフェでお茶だけしよっか」
 美和さんは腕を組んで少し唇を尖らせた。
「そうですね、ダイエット中ですしね」
 私の額から汗が一筋タラリと落ちた。
「じゃあ、仕事終わったら誘いに行くわ。絶対残業しちゃダメよ」
 美和さんはそういって私に向かって人差し指をたて、そのまま喫煙室へと消えていった。

 月曜日で忙しかったが、何とか定時に仕事を終わらせて美和さんと駅前のカフェへ行った。オフィス街にある駅前のカフェなので、いつ来ても忙しそうだ。今日も私たちが席に座ってから、すぐに満席になっていた。
「幸子、最近は、どうよ?」おしゃべり好きな美和さんは席に座るなり、おしゃべりをスタートさせるための質問をぶつけてきた。
「どうって何がですか?」
「何がって、そりゃあ、男とか仕事とかに決まってるじゃない」
 美和さんが紅い唇を尖らせた。
「すいません、そうですね。仕事は、まずまず順調かなと思いますけど、男は、うーん、て感じですかね。出会いすら無いですから」
 私は1年前に彼氏と別れてから、全く浮いた話しがない。そろそろ、あせり出しているがアクションを起こすことはなかった。
「幸子なら、すぐ見つかりそうなんだけどなぁ」
 美和さんは腕を組み背もたれにもたれかかりながら隣に座るサラリーマン風の男をチラッと見た。適当に返事しているのだろう。
「全然ダメですよ。美和さん、誰かいい人、紹介して下さいよ」
 私も適当に期待もせずに返した。
「残念ながら、あたしの周りには、たいした男いないわ」
 美和さんは、手のひらを天井に向け肩をすくめた。
「美和さんは、彼氏さんと順調なんですか。そろそろ結婚とか」
 私自身の話題から変えようと、私がそう言うと、美和さんの顔が少し紅潮し口元が緩んだ。その質問を待ってました、といった表情のように見えた。
「今日は、それを幸子に報告したかったの」
 美和さんは右手で軽くトントンとテーブルを叩き少し身を乗り出してきた。
「えっ、結婚するんですか」
「へへへ、まぁ、プロポーズされちゃったからねぇ」
「おめでとうございます」
 私はテーブルの上に三つ指を突いた。
「ありがと」
 美和さんはテーブルに両肘をつき両手を頬にあて右の口角だけを上げた。
「でもねぇ、これで良かったのかなぁと思うの」
 美和さんはストローでドリンクを無意味にかき混ぜながらコップの中で回る氷に視線を落としていた。
「どうしてですか、良かったじゃないですか。羨ましいですよ」
「でもねぇ~」
 ストローが止まり、視線が私に向けられた。
「仕事終わってから飲みに行けなくなるのは、ちょっと辛いかなぁ。彼の両親や親戚との付き合いとかもあるし、そういうのも苦手だしなぁ。……けど、それも含めて結婚だしなぁ」
「はぁ」
「あっ、誤解しないでね、彼のご両親は優しくて良い人だからね。うん、……でもねぇ」
 話しが長引きそうな予感がした。

 私の予感は、嫌な時だけは的中する。その後も結婚への期待と不安、そして、おのろけをたっぷりと聞かされて、私は少しヘトヘトになった。
「幸子、それじゃ、また明日ね。付き合ってくれて、ありがと」
 カフェを出ると美和さんが、長い別れでもするかのように、私に向かって大きく手を振りながら帰り道とは違う方向へ歩いていった。この後、誰かと一杯行く約束もしてるんだろうな。
「美和さん、ごちそうさまでした」
 私はそう言うと、すぐに踵を返し急いで駅の階段をかけ上がった。母親のプレゼントを買いに自宅の一駅手前にあるデパートへと向かった。



 頼りない担当者、田中

 今年は帽子をプレゼントしようと決めていた。先週チェックしていたので、スムーズに買い物は終わったが、先週のうちに買っておけば良かったと思った。
 実は、先週にも買い物に来たのだが、どの帽子も魅力的で、決めかねて買わずに帰ってしまった。それから毎日、母親の顔を見て候補の帽子をかぶってる姿をイメージしてたら、今日になってしまった。
 先週は母親に「何、ジロジロ見てるのよ気持ち悪いわね」と何度も言われた。
「母さん、喜んでくれるかな」
 これだけ悩んだからきっと喜んでくれる。デパートから自宅までダイエットのために、一駅歩くことにした。母親の喜んでいる顔を思い浮かべながら歩いていると足取りは軽かった。数分歩き駅前の賑やかさが消えて人通りが少なくなりはじめた所で、私の目に奇妙な看板が飛び込んできた。
「えっ」私は立ち止まって、目を凝らして見た。
 その看板は、黒地で周りにバラのイラストがあり、真ん中に大きく美和さんの唇のような紅い色で『バラ色の人生をあなたに』とかいてあった。
 何?この奇妙な看板。宗教か何かだろうかと思ったが違うようだ。入口の立て看板には『新規会員様入会キャンペーン中』と書いてある。ここは携帯ショップだったように記憶してたんだけど、いつの間に変わったんだろう。私は首を捻った。
 店はガラス張りで、すりガラスになっているが、店内の様子は窺える。以外といっては失礼だけど、お客さんは多そうだ。バラ色の人生になりたいと思う人が多いということだろう。
「バラ色の人生か、私もなりたいなぁ」
 美和さんの幸せそうな顔を思い出しながら呟いた。
 すると、店のドアが開いて中から私と同年代の白いワンピースを来た女性が出てきた。女性は店内にむかってペコリと頭を下げ、この店の駐車スペースで立ち止まった。小さな紙袋を大切そうに両手で胸に抱えていた。長い黒髪を風になびかせながら晴れやかな表情で深く呼吸をし、少しオレンジがかったお日様を見つめていた。白いワンピースがオレンジ色に輝いていた。これから先の明るい未来を見つめているようで、さっきの美和さんの表情に似ていた。この女性はここでバラ色の人生をつかめるのかなと思いながら、私も女性と同じようにオレンジ色のお日様に視線をやると、上り電車が通り私の視界からお日様を隠した。明日もあの電車に揺られて仕事に向かい、いつもと変わらぬ毎日を過ごすんだろうなと思った。
 ふと、取り残されていくような不安に陥ってしまった。美和さんの結婚話の後だけに、余計に取り残されると思ったのかもしれない。私は気が付くと、この店のガラスのドアを引き、店内に入っていた。普通ならこの店には絶対入らないと思うんだけど……、どうしてしまったんだろう。
 店内に入ったところで立ち止まり、中を見渡すと外の看板のような派手さはなかった。正面に淡いピンク色の受付カウンターがあり、壁は眩しいくらい清潔な白さをしていた。所々に上品な淡いピンクのバラのイラストがあり、雰囲気が、今通っている歯科クリニックに似ていた。表の看板も、こんな感じの方がよかったのに、と思った。しかし、もしそうだったら、私は、この店に気付かないで通り過ぎていたかもしれない。気付いて良かったのか悪かったのか、それは今はわからない。ここで私の人生が大きく変わるかもしれないし、今のこの時間が無駄なだけかもしれない。
 受付カウンターには美しく知的な感じの女性が立っていた。ショートカットの黒髪とグレーのスーツがよく似合っていた。キリッとした眉は気の強さを感じさせ、黒目の大きな瞳は、同姓の私が見ても魅力的だった。
「いらっしゃいませ、ご来店ありがとうございます」
 ドアの前に立ちつくしていた私に声を掛けてきた。おじぎと笑顔も素敵な女性だ。彼女と店内の落ち着いた雰囲気で、この店に対する私の不安は取り除かれていった。ここで何かが変わるかもしれない、そんな漠然とした小さな期待が生まれてきた。
「お客様、初めてのご来店でございますか」
「あっ、はい」私も負けじと出来るだけ魅力的な笑顔をつくってみた。
「有り難うございます。申し訳ございませんが、ただいま込み合っておりまして、10分程お待ちいただくことになりますが」
受付の女性は、きれいな眉を少しハの字にして言った。
 私は時計に目をやった。母親の誕生日だけど、まあ大丈夫だろう。今日は父親も遅くなるからプレゼントを渡すだけで、パーティは週末に父親が手料理を作ることになっていた。
「はい、大丈夫です。待ちます」
「ありがとうございます。では、担当者が参りますので、3番の席でお待ち下さいませ」
 女性が3番の席に案内してくれた。席は、カウンター席を仕切った形で、銀行の相談窓口のような感じだ。1番から5番まである。3番以外は、すでに先客が座っていた。
「こちらに当店のシステムについての詳細が記載されております。よろしければ、お待ちの間にご覧下さいませ」受付の女性が光沢のある小さな冊子を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
 どんなシステムだろう、興味あるな。そう思って冊子の表紙をめくろうとしたその時、私の前に若い男が現れた。
「し、失礼します」若い男はペコリと頭を下げた。
 身長は私と同じくらいだろうか、小柄で少しぽっちゃりした体型をしている。シャツが少し汚れていて、ネクタイが歪んでいる。額には汗が滲み、それを右腕で拭ってから、私の前に座った。
「担当の方ですか」私は眉根を寄せながら訊いた。
「ど、どうもです、担当の田中です……お、お願いします……」
 えっ、早いなぁ。1分も待ってないけど。まぁ遅いよりはいいけど……。
「はじめまして、山崎です。こちらこそ、よろしくお願いします」
「そ、それでは、あなたの人生をバラ色にします」
 担当の田中という男は小さい声で下を向いたまま、いきなりそう言った。
 この担当者は目も合わさないで何を言ってるんだろう。担当の田中という男は、私より若いだろう、20代前半といった感じだ。オドオドした印象で頼りなく、この人からバラ色の人生と言われても説得力がない。それが彼への第一印象だった。受付の女性のおかげで無くなっていた不安が、ここで一気に膨らんでしまい漠然とした小さな期待は消えていった。
 私は、この担当者に少し意地悪な質問をぶつけてみた。
「ところで、田中さんでしたっけ。私の人生をバラ色にすると仰いましたが、あなたの人生は、今、バラ色なんですか」
 頼りない担当者は、私の質問を聞いた途端、息が荒くなり、また下を向き汗を拭った。意地悪だったかな、と少し反省した。
 頼りない担当者は、しばらくしてから落ち着きを取り戻し、顔を上げて質問への答えを返してきた。
「え、えー、……、今はバラ色だらけです……」
 大きく目を見開いてそう言った。
「えっ、バラ色だらけなんですか?」
「あっ、えっ、そ、そうです」
 本当に?あなた大丈夫?バラ色だらけってどんな状態よ。そう思ったけど、これ以上はやめておこう。とりあえず、この頼りない担当者の話しに耳を傾けるしかなさそうなので、そうすることにした。
 しかし、その後の頼りない担当者の話しは、予想通り支離滅裂で時間の無駄でしかなかった。
 また、私は意地悪になって、彼に聞こえるように「はぁ」とため息をついた。
 そして「私の人生は、どうしたらバラ色になるんでしょうか」と訊いて、同時にテーブルをトンと叩いてやった。ここにいるとバラ色の人生になるどころか性格が歪んでいきそうだ。いや、私の性格は、元々歪んでるのだろう。ここにいると私の歪んだ性格が表に出てしまいそうだ。
 頼りない担当者は、私に話しを遮られたので、少し慌てたのだろう、また汗がどっと吹き出していた。私の顔をじっと見て唾を呑み、テーブルの下を覗きこんで何かを取り出した。
「あっ、えっと、これ、これなんです」
 頼りない担当者は小さな箱を取り出しテーブルの上に無造作に置いた。白地にバラの柄が入った長さが10㎝、幅5㎝ほどの長方形の薄っぺらい箱だった。白い板チョコでも出してきたのかと思った。
「それは、何ですか」
 私は出来るだけ平常心を保ち、テーブルに両肘をつき優しく小さな子供に問いかけるように訊いた。
「えー、こ、これはですね、中に、こういった物が入っています」
 頼りない担当者は、箱をあけて中身を取り出そうとしてるが、不器用なのか緊張しているのか、手が震えてうまく取り出せないでいる。
 見ているとイライラしてきたので、手伝ってあげようと手をのばそうとした、ちょうどその時にアルミの袋が顔をだした。少し箱が破れたようだが、気にしないことにしよう。今度は出てきたアルミの袋をハサミも使わず、胸の前で引きちぎるようにして破った。それも気にしないことにしよう。そして中身を指でつまんで引っ張りだし、テーブルの上にペタンと置いた。私はテーブルに置かれたそれに顔を近づけて目を凝らして見た。
 テーブルの上に置かれたそれは、熱を冷ます時におでこに貼るシートに似ていた。違うのはシートの色がブルーではなくバラ色をしているところだ。
「こ、これが……、私のオリジナル商品……、バ、バラ色シートです」
「私の?」あなたのじゃないでしょ。「当社の」でしょ。そう突っ込みたくなったが、私は頷くだけにした。
「こ、これをですね……、夜寝る前に、お、おでこに貼ってください」
「おでこにですか」
 おでこの部分が聞き取り難かったので、おでこに手を当てながら訊いた。
「あっ、そうです。おでこです」
 頼りたい担当者もおでこに手を当ててから、何故かおでこをペンペンと叩いた。
「それで、どうなるんですか」
「えっとですね」
 そう言ってから、暫く考え込むように顎に手をあて首を傾げた。この態度がお客様を前にしてとるポーズなのかとあきれた。暫く様子を見ていると、何かを思い付いたのか、ポンと手を打ち、テーブルの下を覗きこみ資料を取り出した。そして資料をペラペラとめくり、それを読みはじめた。
「寝ている間にシートからあなたの体内にバラ色エキスが注入されていきます。朝起きた時にこのシートの色がバラ色から白色に変わっていれば注入完了です。これで、あなたの人生はバラ色へと変わります」
 資料をそのまま一気に読み上げた。ずっと資料に視線を落としたまま、私を見ることはなかった。他の席からは、笑い声や盛り上がった会話が聞こえてきているのに、3番だけは、変な空気が流れていた。
「これだけで人生がバラ色になるんですか」
 テーブルに置いてあるシートを手に取って、ゆらゆらと揺らしながら訊いた。
「あっ……ええ、そのはずです」頼りない担当者は頭をかいた。
「私がこれを購入すればいいわけですか」
「えっ、あっ、はい」
 頼りない担当者のまばたきが激しくなっていた。やっぱり頼りないなぁ。人を騙すような人間ではなさそうなんだけど、どうしようか。私は長く息をはいて、頼りない担当者を見た。彼は俯いていた。
「じゃあ買うわ。で、おいくらですか」
「えっ、あっ、これはですね」頼りない担当者は、慌てて顔を上げ頭をかきながら「えっと」と言った後、さっきの資料を開いて価格を調べていた。
「えっ、これのセールスをしているのに価格も知らないんですか」続けて責任者を呼んで来て、と言いそうになった。
 頼りない担当者は、やっとわかったようで、資料をめくる手が止まり、「こ、これ」と言って顔を上げた。
「す、すいません。980円です」私に開いたページを向けて980円を指差した。
 えっ、このシートがそんなにするの。やっぱり断ろうと思った。
「ちょっと高すぎませんか」
「あっ、……そ、そうですよね」
 頼りない担当者はそう言って資料を閉じて自分の手元に引いた。
「えっ、そんな簡単に引き下がるんですか。あなた、これをセールスしてるんでしょ。980円で本当にバラ色の人生になれるなら安いじゃないの。それを私にちゃんと説明しないとダメでしょ」
  バラ色シートを頼りない担当者の前に叩きつけた。私は頼りない担当者の上司になった気分だった。
「あっ、はい、これをおでこに貼っていただくと、きっとバラ色の人生になります。たった980円であなたの人生がバラ色に変わります」
「はぁ」
 ため息しか出なかった。私が無理矢理に言わせただけだった。そして、私もだんだんヤケクソになってきた。
「あなたの言葉を信じて買うわ。それでいい?」
「えっ、ほ、ほんとにいいんですか」
 なんで驚くのよ。頼むからしっかりしてよ。
「買って帰るけど、効果が無かったら怒るわよ」
「そんなぁ……」
 頼むから……、気持ちよく買い物させてよ。私は頭を抱えた。
「フゥ」一息ついた。財布から千円札を取りだしテーブルに置いて、下を向く頼りない担当者の前にすべらせた。
「はい、これで」
 頼りない担当者は顔をあげ、私の顔と千円札を交互に見た。
「えっ、あっ、ありがとうございます。……しばらくお待ちください」
 頼りない担当者はそう言って席を離れた。席をたつ時に椅子の脚にひっかかり、つまづき倒れそうになっていた。その後ろ姿を見て、やっぱりやめとけば良かったかな、と思ったが、後に引けなくなっていた。あの頼りなさが、私に買わせた気もする。理路整然と説明されていたら、反対に引いていたかもしれない。そして「このシートをおでこに貼るだけで何故バラ色の人生に変わるのですか?」「効果はいつごろから出てくるのですか?」「どれくらいの確率で成功するのですか?」そんな質問をぶつけていたかもしれない。私、性格がひん曲がってるんだろうな。
 頼りない担当者を待っている間に、スマホを取りだしメールを確認した。美和さんから今日のお礼と居酒屋の料理の写真が届いていた。「美味しい店みつけたから、今度行こ」とコメントがあり、花嫁姿のウサギのイラストが付いていた。幸せそうで羨ましかった。「はぁ」また、ため息をついた。スマホの画面をとじると、頼りない担当者が戻ってきた。
「おまたせ致しました。これがバラ色シートです」
 額に汗をかきながら両手を目一杯に伸ばして小さな紙袋を差し出した。
「あっ、はい」
 私は立ち上がり、少し圧倒され体を後ろにのけ反りながら、それを受け取った。紙袋の中を覗くと、さっきのバラ色シートの小さな箱が見えた。お釣りを受け取った後、軽く会釈をし「どうも、ありがとう」と蚊の鳴くような声で礼を言った。
「あなたの人生がバラ色になりますように。ありがとうございました」
 頼りない担当者がはじめて笑顔を見せた。にこやかとはいえない少しひきつった笑顔だった。
 私は笑顔も言葉も返さず、そのまま踵をかえし出口へと向かった。周りを見ると、1番、2番の先客は、まだ盛り上がっているようだった。奥の4番、5番もまだ終わっていない。もしかして、私だけ、あっさり終わったの。私ももっと粘った方が良かったのかなぁ。980円は、もったいなかったかも、と思ったが、今さら仕方がない。後はバラ色シートの効果に期待するしかない。
 店を出て小さな紙袋を鞄に詰め込み、群青色になった空を見上げた。月を探してみたが見つからなかった。
 この店に入る前に見た白いワンピースの女性のような晴れやかな表情にはなれなかった。高架沿いを歩きながら、あまり期待はしていないが、明日からのバラ色人生を想像してみることにした。



バラ色シートの効果に期待

 夕食を済ませてから、母親にお祝いの言葉と感謝の気持ちを伝えプレゼントを渡した。
「お母さん、誕生日おめでとう。それから、いつもお弁当ありがとう。感謝してます」
 プレゼントした帽子は、すごく気に入ってくれた。帽子をかぶって、ポーズをとって見せてくれた。なかなか似合っていたので私も満足だった。一週間悩んだ甲斐があった。母親は何度も何度も鏡を覗いていた。嬉しそうな母親を見ていると、もっと親孝行しないといけないなと思った。いとこに子供が出来て二人でお祝いに行った時、母親は赤ちゃんを抱っこさせてもらい幸せそうで、そして羨ましそうな表情をしていた。早く孫の顔も見せてあげたいと思った。
「幸子、ありがとう」
 帽子を両手でおさえながらいった。
「どういたしまして、もっと親孝行するからね」
 自分の行ったことで、喜んでもらえると本当に幸せな気分になる。

 父親が帰ってきたので、後は夫婦水入らずで誕生日を過ごしてもらおう。
 自分の部屋にもどろうとした時、後ろから「おう、いいじゃないか、似合ってるよ」と父親の声がした。よしっと小さくガッツポーズをした。
 自分の部屋にもどり、ベッドに腰を下ろした。鞄からバラ色シートの入った紙袋を取り出した。紙袋を封したテープが斜めに雑に貼ってありテープもしわくちゃになっていた。980円もしたのに、なんて雑な扱いなんだろう。こんなので効果あるのかと、頼りない担当者の顔を思いだし怒りがわいてきた。箱からバラ色シートを取り出そうとしたが、頼りない担当者と同様に苦戦した。箱に巻かれたセロハンもはがしにくかったし、箱と中に入ったアルミの袋が窮屈で隙間がなく出てこない。箱を少し破り、やっと取り出せた。アルミの袋をハサミで切りバラ色シートを引っ張り出した。
「これがバラ色シートか、取り出すまでに気分はブルーになったよ。改善の余地ありね」と一人で呟きながら、バラ色シートの裏をみたり表をみたり透かしてみたりした。箱に書いてある説明文に目を通していると母親の声がした。
「幸子、お風呂まだ入らないの」
 バラ色シートをテーブルに置いて、お風呂に入ることにした。
「はーい、すぐに入るわ」
 お風呂に入る前に母親を見ると、家の中だというのに、まだ帽子をかぶっていた。自然と笑みがこぼれた。

 お風呂からあがり鏡の前に座った。バラ色シートの裏のシールを外し、バラ色になったゲル状の部分を指で押さえてみた。熱を冷ますシートと違い粘着力が凄そうだ。生き物みたいに指にくっついた。指を持ち上げるとシートは、指にくっついたまま持ち上がった。指を左右に強く振っても落ちない。粘着力の凄さに驚いて、おでこに貼ることに躊躇してしまった。朝、おでこから剥がれなかったらどうしよう。剥がれたとしても、おでこが真っ赤になってしまっていたら仕事にも行けない。そんなリスクを考えると貼るのはやめた方がいいかなと思った。指からバラ色シートを取り、このまま捨てようかと思った、その時、美和さんからのメールが届いた。そのメールを見て、やっぱり私も負けてられない、私もバラ色の人生にならないと、という気持ちになった。捨てようとしていたバラ色シートを勢いに任せて、おでこにバーンと貼り付けた。貼った瞬間、おでこが締め付けされるような感覚がして、おでこが熱くなり、こめかみの辺りがピクピクしてきた。怖くなりすぐに外そうかと、おでこに手をやったが……、美和さんのように幸せになるんだと思い、そのまま外さずにいた。しばらくすると、だんだんとマッサージされているような感覚になり心地よくなってきた。
 鏡を覗きこみ、鏡に映る自分に向かって意味もなく「よーし」と声をかけ、そのまま布団に入った。
 布団に入ると、すぐ意識を失ってしまったようだ。普段は寝付きが悪いので、この寝付きのよさは、もしかするとバラ色シートのおかげだったのかもしれない。スーっと意識を失っていく感覚が心地よかった。

「幸子、おめでとう。急に結婚するっていうからびっくりしたわ。相手がいないなんて言ってたのに、あたし、完全に騙されたわ」
 美和さんが、私の肩がはずれるかと思うくらい、何度も何度も叩き、私の結婚の報告を喜んでくれた。美和さんが結婚するって聞いた時、私は、こんなに喜んでなかったな。
「美和さんありがとうございます」
「それより、はやく旦那様を紹介してよ」
 美和さんが唇を尖らせた。
「そうですね、美和さん、紹介するわ。この人よ」
「ど、どうもです」
 そこに頼りない担当者が現れた。
「うわーっ」

 私は悲鳴をあげて目を覚ました。
「はぁ、夢か」
 なんて変な夢を見たんだろう。昨日の頼りない担当者が私の結婚相手になって出てくるなんて、「もう、あり得ないわ」枕をベッドに叩きつけた。バラ色シートのせいじゃないの。ベッドから出て鏡を覗いてみた。
「あれ、なんで」
 鏡に映るバラ色シートの色が、白くなっていないように見えた。バラ色シートをおでこから外して直接見た。
「やっぱり、なんで」
 バラ色シートの色がバラ色のままで白くなっていなかった。頼りない担当者はバラ色エキスが注入されたら、このシートの色がバラ色から白色に変わると言ってたはずなのに、やっぱり騙されたのかな。それとも使い方を間違っているのかな。今日の帰りに、色が変わらなかった理由を確かめに、もう一度あの店に行くことにしよう。

 母親は、朝食はしっかり食べないといけないと言って、毎朝作ってくれる。ご飯と味噌汁と納豆、焼き魚の日もあれば、今日のようにトーストとオムレツ、サラダ、ヨーグルトの日もある。私は今日のような朝食がいいが、父親は和食の方がいいらしい。母親はその辺のバランスも考えてくれているようで、本当に頭が下がる。父親はすでに朝食を済ませ仕事に出ていた。私も朝食を済ませ母親からお弁当を受け取った。
「お母さん、いってきます。今日も遅くなるね」
「いってらっしゃい、気を付けてね」
 さあ、とりあえず今日はバラ色シートの効果に期待しようかな。980円分は楽しまないと。そう思っていると足取りは、いつもより軽かった。

 毎朝通勤の時に同じ車両に乗る男の人がタイプなんだけど、いつも私の降りる一つ手前の駅で降りてしまう。今日はバラ色シートの力で、その男性とお近づきになれないかな。そんなドラマのようなことまで期待してしまう私は少し変だ。電車が入ってきたので、車内を覗いた。あっ、いたいた。やっぱりいい男だなぁ。私が乗り込もうとするドアのすぐ左側のつり革につかまっていた。周りより頭ひとつ出ているのですぐに見つかる。隣に立ってやろうと思って乗り込んだけど、後からの乗客に真っ直ぐ押されて、そのまま反対側のドアまで入ってしまった。今日はいつもより人が多くて身動きがとれない。なんで今日に限ってこんなに多いのよ、と身勝手なことを思い、ドアにべったりと張り付けられたまま、つり革を持つ男の人の後ろ姿に向かって念を送ってみた。今日はバラ色シートの力があるはずだから。
「おーい、私の存在に気付いてぇ~、声掛けてぇ~」
 ガタンガタン、ゴトンゴトン
 あーぁ、いつも通りあっさりと降りていっちゃったわ。まぁ、期待した私がバカなんだけど。

 いつもと変わらない昼休み、母の作ってくれたお弁当を食べ終えて、今日はスマホで時間を潰していた。美和さんが、奥のテーブルに座っているのが見えた。昨日と同様に体全体で喜びを表現して話していた。話している相手は美和さんの同僚の人だと思うけど、名前は知らない。この人は美和さんに負けないくらい、はしゃいでいた。今日はこの人を誘っているのかな。昨日、舌打ちをした男性はヘッドホンをして俯いていた。
 美和さんは、いいなぁ。人生バラ色なんだろうな。そんな事をぼんやり考えながら、午後からのスケジュールをスマホで確認した。私は営業の仕事で週の前半は商談が多く、今日も数件の商談が入っていた。
「そうだ、午後からシモノ商事との商談だ」
 午後からの商談でシモノ商事という新規の取引先が入ってた。どんな担当者なんだろう。すごいイケメンで、名刺交換した瞬間に、お互いに一目惚れしてお付き合いするみたいな事が起こるのかもしれない。よーし、午後からの商談、頑張るぞ。左手にスマホを持ち、右手は拳を握っていた。
 また、ドラマのようなことを期待してしまうバカで能天気な私になっていた。バラ色シートの効果は人を能天気にするだけなのかもしれない。もしかするとそれが、本人にとっては幸せなことかもしれない。

「山崎さん、シモノ商事様、来社されましたので、商談室にお通ししました」
「すみません、ありがとうございます」
 少しドキドキするな。商談室に入る前に髪を整え、深呼吸した。
「お待たせいたしました」
 いつもより、少し緊張して商談室に入った。

「本日は、お時間をとっていただきありがとうございました。今後とも、長いお付き合いをよろしくお願いいたします」
 シモノ商事の担当者が資料を鞄に入れた後、立ち上がり私に向かって頭を下げた。深い皺の入った目尻が下がり、商談中の熱い表情とは別人のような優しい表情になっていた。
「こちらこそ、ありがとうございます。本日は良い情報をありがとうございます」
 今日は、いい商談が出来て良かった。商談中はシモノ商事の担当者の熱意に心を打たれた。しかし、もうひとつ、能天気に期待していたことは、顔を合わせた瞬間に、あきらめた。私の父親ほどの年齢の人だった。
 
 結局、バラ色シートの効果は無いまま、今日が終わりそうだ。昨日の店に行って、朝になってもシートの色が変わってなかった理由を確かめに行こう。



 バラ色シートの真実

 店の前について派手な看板に目をやった。
『バラ色の人生をあなたに』とかいてある看板を見て「この看板に偽りありね」と呟いた。
 すりガラス越しに店内を見ると昨日ほどではないが、お客さんは入っているようだ。フゥと息をはいてからドアを引いて店内に入った。
「すみません」
「いらっしゃいませ、ご来店ありがとうございます」
 昨日と同じ女性だ。この人は昨日の担当者とは違って信頼できそうなんだけどな。
「はじめてのご来店ですか」
「いえ、昨日も来たんですけど」
「さようでございましたか、失礼致しました」
 女性はそう言って、丁寧に頭を下げた。
「昨日、バラ色シートを購入した者です。さっそく使用したんですが、朝になってもシートの色が変わらなかったので、その理由を確かめに来ました」
 私は少し早口で捲し立てるように言った。
「えっ、……バラ色シートを購入?ですか」
 受付の女性は、さっきまでの笑顔が消え、眉根を寄せて、ゆっくりした口調で言った。
「えっ、あっ、はいそうですけど……」
 私、何か変なこと言ったのだろうか、と思ったが、そんなことはない。
「申し訳ございませんが、お客様の会員番号をお教えいただけますか」
 そう言ってパソコンのキーボードに手をかけた。
「会員番号ですか。いやわかりません」
 私は小さく首を横に振った。
「会員証に書いてある番号なんですが」
「会員証ですか、いえ、もらっていませんが」
 今度は私の眉根が寄っていただろう。
「会員証をもらっていない?」
 女性は顎に手をやり首を傾げた。
「はい」と言って、私も首を傾げた。
 しばらく、首を傾げたまま、お互い顔を見合わせていた。
「昨日、お客様を担当した者の名前を、お聞かせいただけますか」
「ええ、確か、田中さんでしたけど」
 頼りない担当者、田中の名前を伝えると、女性は目を見開いて、一瞬口をポカンとあけ、その口を両手でおさえた。この女性が今まで見せたことのないしぐさだった。
「た、田中……ですか」
「えっ、はい、そうですが」
「お客様、申し訳ございません。すぐ、責任者を呼びますので、しばらく3番の席でお待ちいただけますか」女性は深々と頭を下げた。これまでの落ち着いた彼女とはあきらかに違っていた。
 今日も3番だった。1番、2番は先客が入っていた。4番、5番は、今日は空いていた。
 しばらくすると、スーツ姿の男性が現れた。背が高く、鼻筋の通った端正な顔立ちをした清潔感のある人だ。髪型や服装を見るかぎり、几帳面な人のようだ。昨日の担当者がこの人だったら良かったのに。
「はじめまして、私、ここの責任者の香川と申します。この度は、大変ご迷惑をおかけいたしまして申し訳ございません」深々と頭を下げ名刺を差し出した。
「山崎です、よろしくお願いします」
 私は、その場で立ち上がり頭を下げた。
「よろしくお願い致します。どうぞおかけください」
「あっ、はい」
 私は背筋をピンと伸ばして座った。少しでも印象を良くしようとしたのか、無意識に声のトーンが変わっていた。お見合いでもしているような緊張感があった。
「山崎様、受付から報告をもらった内容を確認させていただきます。よろしいでしょうか」
 香川さんはそう言って、手帳を開き私の目をじっと見た。私は、おしとやかに「はい」と言って軽く頷いた。
「昨日の山崎様を担当した者が田中ということですが、間違いございませんか」
「はい、間違いありません。田中さんでした」
 香川さんは唇を噛んで、ペンでこめかみの辺りを押さえた。
「担当したのは田中一人でしたか」
「はい、田中さん一人でした」
 香川さんは手帳のページをめくり何かを確認しているようだった。手帳にはぎっしりと几帳面に文字が書き込まれていた。手帳を数ページめくった後、あるページで止め、そのページを開いたままペンでトントンと叩きながら唇を噛みしめていた。
「バラ色シートを購入したということですが」
 私に視線をもどし、心情を隠すように優しい口調で訊いてきた。
「はい、980円で購入しました」
 香川さんは、その言葉を聞いた瞬間、おでこに手を当て下を向き、ため息をついた。店側にミスがあった事は間違いなさそうだ。
「山崎様、今回は大変ご迷惑をお掛け致しました。私共の従業員の教育不足により、間違った情報を山崎様に伝え、料金を支払わせたことを深くお詫び申し上げます」
 香川さんは急に立ち上がり深々と頭を下げた。
「どういうことでしょうか」
 香川さんの顔を覗きこみ訊いた。
「はい、お恥ずかしい話しですが、昨日、山崎様を担当した田中は、まだ研修生の身で、ここのシステムを理解しきれておりません。なので、一人でカウンター業務をやらせることはなく、必ず先輩社員とマンツーマンにしていたんです。ところが昨日は忙しくマンツーマンで教えることが出来ない為、他の業務をやってもらっていたのですが……。まさか勝手にカウンター業務を一人でやってしまっていたとは……、本当に申し訳ございません」
 確かに、昨日の担当者の話は支離滅裂だったので、あれがまともな担当者だったら、お客さんもたまったものじゃない。
「あっ、はぁ」香川さんを見上げた。
「申し訳ございません」香川さんがもう一度深々と頭を下げた。
「で、この後どうなるんでしょうか」
「はい、まず、昨日お支払いただいた代金はご返金させていただきます」
 それは当たり前でしょ、私のバラ色の人生は、どうなるのよ。香川さんが私の人生バラ色にしてよ、と思った。
「バラ色シートは不良品だったんでしょうか。色が白くならなかったんですけど」
「あっ、はい、それにつきましては、一度弊社のシステムについて、ご説明させて頂きたいのですが、お時間はよろしいでしょうか」
「はい、大丈夫です。詳しく知りたいです」
「ありがとうございます。では失礼いたします」
 香川さんは、そう言って椅子に座り、深く息を吸った。
「弊社のシステムでございますが、ご来店頂いた方には、まず、審査を受けて頂いております」
「えっ、審査があるんですか」
「さようでございます。弊社はカウンセリングが主なサービスなんですが、まずご来店いただいた方には、簡単な審査を受けていただき、カウンセリングが必要かを判断させていただいております。審査結果でカウンセリングが必要となった方でご希望の方のみ会員になって頂いております。そして、会員の方の人生がバラ色になるように、カウンセラーがカウンセリングを実施しております。審査結果でカウンセリングの必要が無いと判断した方は粗品をお渡しして、お帰りいただいております」
「私、今からでも審査受けれますか」
「はい、30分程お時間をいただくことになりますが、ご希望でしたら、すぐに準備いたします」
 私は時計を確認した。母さんには遅くなるといっているし大丈夫だろう。それに、もうしばらく香川さんと話がしたい。
「よろしくお願いします」
 私は背筋を伸ばし、勢いよく頭を下げた。
「では、準備いたしますので、しばらくお待ちください」
 香川さんは、そういって、席をたった。昨日、私だけが早く終わった理由がわかった。待っている間、少し肩の力を抜いて、深く息を吸った。隣の2番から笑い声が聞こえた。
「お待たせいたしました。まずは、このシールをおでこに貼っていただけますか」
 香川さんが戻ってきて、何の変哲もない直径3㎝くらいの白いシールをテーブルに置いて、私の前にすべらせた。
 私はそれを手に取って、表と裏を交互に見た。
「えっ、これを、おでこに貼るんですか」
「はい、出来るだけ、真ん中に貼って下さい。その後、このアンケートにお答えいただけますか」
香川さんはおでこの真ん中を人差し指で押さえながらそう言った後、アンケート用紙を私の前に置いた。
「はい、わかりました」私は素直な少女のように返事した。
 私はおでこにシールを貼り、アンケートに目を通した。アンケートの内容は細かくて、自分の人生を振り返るのにも役立ちそうな内容だった。
「それでは、アンケートをはじめてください。少し席をはずさせていただきますね」香川さんは、そういって席を立った。
 おでこにシールを貼っている顔は、まぬけな顔だろうなと思い恥ずかしくなったが、アンケートをはじめると、おでこのシールのことも忘れてしまうくらい集中してしまっていた。
 アンケートの一問目は『朝食は週に何日食べていますか?』だった。私は『7』の箇所を塗りつぶした後、母親が毎日朝食の準備をしてくれている姿を思い出した。
 アンケートは全部で百問あり、全て回答した後、「ふぅ」と息をつき首を回した。香川さんは、ずっと私の様子を見てくれていたのだろう。私がペンを置くと、すぐに席に戻ってきた。
「お疲れさまでした。アンケート書き終わったようですね」
「あっ、はい。なかなか濃い内容で楽しく集中して出来ました」
 私は目一杯、口角を上げてアンケート用紙を香川さんに渡した。
「そうですか、それは良かったです。少し拝見させていただきますね」
 香川さんはアンケート用紙に目を落とし、ページをゆっくりと丁寧にめくり、小さく頷きながら見ていた。
 あまりにも細かく深い内容なので、自分が裸にされたような気分で照れ臭かった。香川さんはアンケート用紙を一通り目を通してから視線を私に向けた。
「一番尊敬している方はお母様でいらっしゃいますか」
 切れ長で魅力的な目で見つめられた。私の顔は紅潮していたのだろう、少し熱くなっていた。
「はい、私は母に感謝していますし、尊敬もしております」
 就職の時の面接のような心境だ。いや、それとは違ってトキメキもあった。
「すばらしい、お母様もお喜びだと思います」
 昨日、帽子をかぶってポーズをとる母親の姿が浮かんだ。自然と顔がほころんだ。
「最近起こった幸せな事は、先輩の結婚が決まったことですか」
 他に思い浮かばなかったこともあって、美和さんの結婚が決まったことを書いたまでだが。
「昨日、聞いたばかりだったもので」
 そう答えると、香川さんは、小刻みに頷いた。
「先輩思いなんですね」と言われて、少し気が引けた。
「それでは、このアンケートを審査にかけてみますね」
 香川さんはそう言うと、アンケート用紙をスキャンしてパソコンに取り込んだ。パソコンの位置を横向きにして、私にも画面が見えるようにしてくれた。画面を見ると私のアンケート用紙があらわれて、香川さんが画面下に出ていた審査というボタンをクリックした。画面が暗くなり『あなたのバラ色度を審査しています』というバラ色の文字がパソコンの画面を左から右に流れていた。その文字を目で追いながら待っていた。ふと、香川さんに視線を移すと香川さんが、にこやかな表情で「もうしばらくお待ちくださいね」と言って私に視線を合わせてきた。私の鼓動は少しはやくなっていた。胸を押さえ香川さんから視線をそらしてパソコンにもどした。ちょうどそのタイミングで、流れていた文字が消えて、『審査結果』と画面が変わった。香川さんがボタンをクリックすると画面が明るくなり、円グラフが現れて、バラ色度70%と出た。円グラフの70%がバラ色になっていて、残りは細かく緑色や黄色、赤色等になっていた。
 香川さんは、それを見た瞬間、背もたれにのけぞりながら、「おう」と声をあげて目を見開いた。
「非常に高い数値ですね」
 えっ高いの、基準がわからないけど、70%って普通じゃないのかな。
「これって高い数値なんですか」
「非常に高いですね、普通は良くても60%前後ですから、これならカウンセリングの必要は全くありませんね。山崎様は充分バラ色の人生を過ごされています」
「そんなことないです。アンケートは、ちょっと見栄を張ったからかもしれません。私の人生はバラ色じゃありません」
 私は駄々をこねる子供のようになっていた。香川さんは、私の言葉に耳も貸さないで、おでこのシールをじっと見ていた。
「そろそろいいですね」
 おでこにシールを貼っていることを忘れてしまっていた。まぬけな顔だろうと少し恥ずかしくなった。
「おでこのシールを取って、テーブルに置いて下さい」
 私は、さっとシールをとり、テーブルに置いた。
「見てください、シールの色が白色からバラ色に変わってますよね」
 香川さんはシールを手に取り、私の眼前に向けた。
 確かに白いシールだったように記憶しているが、アンケートに夢中になってしまっていて、シールの記憶があいまいになっていた。
「あっ、はい」私は気のない返事をした。
「これは、あなたの人生がすでにバラ色の人生だという事を意味しているんです」
「私の人生は、バラ色だとは思えないんですけど」
「いえ間違いありません。このシールの色やアンケート結果からもわかりますし、今朝バラ色シートの色が白くならなかったことからも証明されています」
「私のバラ色シートは、なぜ、白くならなかったんでしょうか」
 そうだ、これを聞くために今日はここに来たんだ。
 香川さんは小さく頷いてから、テーブルの下からバラ色シートを取り出し手に持って説明を始めた。
「このバラ色シートは、カウンセリングを受けた方の効果を上げる為に、バラ色エキスを体内に注入していくためのものです。そして、体内のバラ色エキスが満杯になると、それ以上は注入されなくなりシートの色が変わらなくなります。その時点でカウンセリング終了となるわけです。山崎様の場合は、すでに体内のバラ色エキスが満杯だったので、バラ色シートの色が白くならなかったのだと考えられます」
「そうなんですか」少し腑に落ちなかった。本人がバラ色の人生じゃないといっているのに、今日会ったばかりの人に、あなたの人生は、すでにバラ色ですと言われてもなぁ。
「あなたの人生は、すでにバラ色です。後はそれに気付くだけです」
「気付くだけですか」
「そうです、山崎様の人生は70%がバラ色でも残り30%は残念ながら違います。しかし、100%バラ色の人生を過ごしている人は、皆無に等しいです。それなのに山崎様は100%になることばかり考えてしまうがため、30%のマイナスばかりに意識がいってしまっています。70%のバラ色に気付いていれば、もっと幸せを感じることが出来て、きっと70が75になり80になります。山崎様は、ここでカウンセリングを受けなくても、現在70%をバラ色にしてくれている環境に感謝して過ごしていれば、きっと良くなるはずです」
 言われてみれば確かに、私の人生、そんなに悪いわけではないかなぁ。70%がバラ色と言われればそうかもしれない。でも残り30%を香川さんに何とかしてほしいとは思ったが、能天気にドラマみたいなことを考えるのはやめて帰ることにした。香川さんとは、これでお別れかと思うと残念な気がした。
「わかりました。じゃあ、これで帰ります。本当にありがとうございました」香川さんに向かって微笑んだ。
「ありがとうございました。この度は本当にご迷惑をお掛け致しました」香川さんは深々と頭を下げた。
 受付の女性から返金のお金と粗品を受けとった。香川さんが受付の女性と並んで見送ってくれた。二人がお似合いにみえて、少し羨ましく思った。
「では、失礼します」と言って頭を下げ、ふと受付の女性の胸元に目をやった。女性のネームプレートが『香川』となっているのに気付いた。えっ、まさか二人は……夫婦? いやいや兄妹かもしれないし親戚かもしれない、同じ職場でたまたま同姓なだけかもしれない。私にも、まだチャンスがあるかもしれない。そんな訳のわからないことを考えながら、体を翻しドアを開けた。外から生ぬるい風が入り、私の顔を撫でた。


 バラ色にしてあげたい気持ち

 香川さんと受付の女性の関係が気になったが、結局私には関係ないことなのだろう。私は、これから自分のバラ色度が70%あることを意識することにしよう。今の幸せを実感することに決めた。
「よーし、バラ色の人生を満喫するぞ~」両手を高く上げ背伸びした。
『ガシャーン』
 その時、後から激しい音がした。
 慌てて振り返ると、段ボール箱を抱えた昨日の頼りない担当者が立っていた。足元にはガラスの破片が散らばっていた。持っていた段ボール箱の底が抜けて、中に入っていた割れ物が地面に散らばってしまったようだ。
「あらら、何してんのよ」
 頼りない担当者は、段ボールを置き、しゃがんで散らばったガラスの破片を片付けようとしていた。その時、店内から香川さんが颯爽と出てきた。その姿を見て私はときめいてしまった。「香川さーん」と手を振りそうになった。しかし、香川さんは、私に気付くことなく、頼りない担当者の前に立ち、人差し指を立て怒鳴りだした。さっき店内で話していた香川さんとは別人のようで怖かった。眉がつり上がり眉間に皺が入っていた。頼りない担当者は何度も何度も頭を下げていた。香川さんはポケットに両手をつっこみ、舌打ちしながら散らばったガラスの破片を蹴散らした。
「ちぇっ、いいかげんにしろよ」
 そう言うと、そのまま片付けを手伝うこともなく店内に消えていった。ドアを閉める音が激しく響いた。
 頼りない担当者は、しゃがんだまま頭を抱えていた。私は放っておけなくなった。何故だかわからないが、一緒に片付けてあげたい、彼を助けてあげたいと思った。
 私はしゃがみこんでいた彼の前に立ち、腕を組んで見下ろした。彼は私の気配に気付き顔を上げた。
「あっ、えーっ、ひー」
 私の顔を見て驚いて変な声を出し、しりもちをついた。おばけでも見たかのような驚きようだった。
「あなたね、何も知らないのに、勝手にカウンター業務したらダメじゃない。香川さんに怒られたでしょ」
 私は腕を組んで彼を見下ろしながら言った。知らない人が見たら、私が彼をいじめているように見えるだろう。
「あっ、はい、すごく怒られました。本当にごめんなさい」
 彼は立ち上がり、ズボンについた土をはらいながら頭を下げた。
「まぁ、いいけど。少し楽しめたから。でも何で、あんな無茶なことしたのよ」
 彼を見ると、額から汗が吹き出し息づかいも激しくなっていた。下を向いたまま何も言わないので、私が話しを続けようとした時、彼は胸に手を当ててゆっくりと顔を上げ口を開いた。
「えーっと……、あなたが店に入ってきた時、優しそうで、美しすぎて……、一目惚れしちゃって……、話しがしたいと思って……、気が付いたら、カウンターに座っていました。頭は混乱してたけど、どうしてもあなたと話がしたかった。それであんなことしちゃいました。でも……、あなたと話が出来て……幸せでした。それで……、あの時、僕の頭の中はバラ色だらけになりました。本当にごめんなさい」
「えっ、バラ色だらけ……」
「はい、あなたと話しているとバラ色だらけです。今もバラ色だらけです」
 そう言われると私もまんざらではなかった。
「そうなんだ~」
 私の目尻は下がり頬が緩み紅くなった。そして胸が熱くなった。

 一ヶ月後、私には年下の少し不器用だけど可愛い彼氏が出来た。
 確か、この彼氏に始めて会った時、少し不安そうだったけど、こう言った。
「そ、それでは、あなたの人生をバラ色にします」
 約束通り、私の人生を、もっともっとバラ色にしてもらうことにしよう。
 そして、私は彼の人生をバラ色にしてあげたいと思った。
 以前、母親に結婚して幸せか、と訊いたことがある。毎朝早く起きて、私と父親の朝食やお弁当を作り、夕食を作り、掃除に洗濯と家事をやる母親が大変そうに思ったので訊いた。
 その時、母親はあなたとお父さんが朝食を美味しそうに食べて、元気に仕事に行く姿を見て幸せを感じると言った。
 父親と私が帰ってきてお弁当箱を出して、ごちそうさまと言ってくれた時、幸せを感じると言った。
 父親と私が夕食を食べてる姿を見て幸せを感じると言った。
 バラ色の人生って、そういうことなのかな。母親のその時の嬉しそうな顔を思い出した。
 そうだ、そろそろ母親に料理を教えてもらわないといけない。ついに私にもその時が来た。