④「婚カツ屋」という名のちょっと変わった結婚相談所

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島崎康史

　暗くて狭いエレベーターに美女と二人きり。エレベーター内は、いい香りが充満していた。この後のことを考えると体が熱くなり心臓が暴れた。エレベーターの階数表示を見ながら生唾を飲んだ。
　エレベーターの階数表示が①になり、ドアが開いた。外の空気が入ってきて、いい香りが逃げてしまった。薄暗く冷たい通路を抜けて外に出ると、西に傾きかけた陽射しに目をしかめた。一瞬、視界を失い右手で陽射しを遮り左側を見たら、焼鳥屋サチの前で大将とおかみさんが案山子のように立っていた。大将は腕を組んでニタニタと笑い、おかみさんは胸の前で小さく手を振りながら満面の笑みを浮かべていた。俺は軽く会釈し、ひきつった笑顔を返した。榊原さんは大将とおかみさんの方をみて首を傾げていた。恥ずかしくて少し歩みを速め、榊原さんより少し先を歩いた。すぐに榊原さんが俺に追い付き横に並んだ。ふっといい香りがした。香りを独り占めしようと鼻で大きく息を吸った。
「喉が渇きましたね」正面を向いたまま声を発した。
「はい、わたしも緊張して喉がカラカラです」少しハスキーで色気のある声に頭がクラっとした。
「駅の近くに喫茶店がありますから、そこで冷たいものでも飲みましょう」

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　昨晩、今日の予定を考えて眠れなかった。昨晩考えた予定を頭の中で整理しながら商店街を歩いた。
　これから駅の近くにある喫茶店に入って、少しお互いの自己紹介をしておこう。そこでお互いの緊張がほぐれてくれれば、今日これから楽しめるはずだ。大学を留年しそうになった話や高校時代サッカー部の監督に怒られてばかりでレギュラーになれなかった話などを準備しておいた。喫茶店を出てから映画かカラオケ、食事に誘ってみよう。今、公開している映画を何本がチェックしておいた。食事に行く店も何店舗かチェックしておいた。榊原さんはどんな映画が好みなんだろうか、カラオケは？　食べ物は？　何が好きなんだろうか、喫茶店でいろいろと訊いてから、今日の予定を決めていくつもりだ。
　商店街は人通りが多く、横に並んで歩けないくらいで、榊原さんは後ろについていた。背中がなぜかムズムズした。お好み焼きのいい匂いがしてお腹がギューッと鳴った。大きな音だったが商店街の喧騒がかき消してくれた。
「ここの喫茶店でいいですか」珈琲のいい香りが外まで漂っている。
「はい」榊原さんの表情に笑みはあったが緊張しているのがわかった。
　喫茶店のドアを開けると「いらっしゃいませ」と奥のカウンターに立つ年配の男性の声が飛んできた。店内は主婦らしきお客さんで満席に近かった。
　店内を見渡し空いている席を探した。左奥にカウンター席があり、テーブル席がいくつかある。カウンター席は常連らしきお客さんでいっぱいだった。テーブル席が少しだけ空いていた。壁際の一番奥のテーブル席に向かった。椅子に座り、フーッと息を吐いて肩の力を抜いた。榊原さんも同じようにしていた。
「こういうのはじめてで緊張します」ハンカチをおでこにあてた。
「そうですね、わたしも緊張しています。でも、楽しいです」榊原さんはそう言って、身なりを整えるようにしてから背筋を伸ばし膝に手を置いて頭を下げた。「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」テーブルにおでこが当たる位、頭を下げた。
「ここの喫茶店はよく利用されるんですか」榊原さんが店内を見渡してから訊いてきた。
「いえ、この店の前はよく通るんですが入るのは始めてです。この店の前を通る度に珈琲のいい香りがするので一度は入ってみたいなと思ってたんです」
「いい雰囲気のお店ですよね」榊原さんがまた店内を見渡した。まだ落ち着いてない様子だった。それは俺も同じだった。なかなか注文をとりに来ないので、話が続かず沈黙してしまった。隣のテーブルから聞こえてくる女性たちの笑い声を聞きながら、早く注文をとりに来てくれと思っていた。
「お待たせしました」やっと女性店員がおしぼりと水を持って現れた。
「えっと、アイスコーヒーと」俺はそう言ってから榊原さんを見た。
「わたしもアイスコーヒーで」
「じゃあ、アイスコーヒー二つ」指を二本立て女性店員に視線をやった。
　視線を女性店員に移した瞬間、俺は「あっ」と思わず声をあげてしまった。二本の指を立て、口を開けたまま、金縛りにでもあったかのように全身が硬直してしまった。
「なぜだ」心の中で呟いた。周りの景色が真っ白になっていた。隣のテーブルからの笑い声も聞こえなくなった。
　前に座る榊原さんが、不思議そうに俺に視線を向けた。俺はニコリと右の口角だけを上げて笑った。
「アイスコーヒーお二つですね」その女性店員は、俺の目をじっと見つめ、ニコッと笑い、踵をかえし、カウンターの方へ向かって行った。
　俺は、その後ろ姿を目で追っていた。今日これまでとは違う緊張の汗がどっと出て、少し息苦しくなった。前に座る榊原さんが少し怪訝な表情になった。
「島崎さん、どうかしました？」
「い、いえ、べ、別に」
「さっきの女性、知り合いですか」
「えっ、いえ、あの……」頭が混乱していた。
「まさか、昔の恋人だったりして」榊原さんが笑みを浮かべながら言った。
「えっ……」榊原さんの顔を見た。笑っている。「な、なんでわかったんですか」
「フフフ、やっぱりね。彼女の顔を見た瞬間の島崎さんの顔を見たらわかりますよ」
「す、すいません。ビックリしました。まさか、こんな所で会うなんて……」俺は体が熱くなり、おしぼりでおでこの汗を拭いた。

　彼女の名前は三宅絵里。一年前に俺の嫉妬が原因で喧嘩して別れた。しかし、なぜここで働いてるのだろう。

「島崎さんて、屋敷さんの言ってた通りの人ですね」
「屋敷さんの言ってた通り？」
「嘘のつけない真っ直ぐな男性で、優しくて熱いハートの持ち主だって言ってました。島崎さんと一緒になれば絶対に幸せになれる。屋敷さんはそう言ってましたよ」
「えっ、いやー、そんなー」俺は頭を掻いた。
「でも、一緒になって幸せになれるのは、わたしじゃない気がします。たぶん、さっきの……」
「お待たせしました」榊原さんの話の途中で三宅絵里がアイスコーヒーを持ってきた。俺の前にコースターを置いてからアイスコーヒーのグラスを置いて、ストローをテーブルの上をゆっくりと滑らせるように置いた。その間、三宅絵里は俺に顔を向けたままだった。その表情は不適ともとれる笑みを浮かべていた。俺は俯いてしまった。榊原さんの前にもアイスコーヒーとストローを置いてテーブルの真ん中にシロップとミルクの入った容器を置いた。
「ご注文は以上ですね」俺の方をじっと見ている。
「あっ、はい」小さな声で応えた。
「どうぞごゆっくり」伝票を置いてから、もう一度俺の方に視線を向けてきた。「ウフ」と肩をあげ小さく声を出してから踵を返しカウンターへ戻って行った。
「はぁー」俺はおでこに手を当て俯いた。
「まだ、彼女のこと好きなんじゃないですか」
「えっ、そ、そんなことないです」顔の前で小さく何度も手を振った。
「わたしのこと気にしないで下さいね。彼女には、わたしとは仕事の関係で会ってるとでも言ってもらって結構ですよ」
「いや、そんな、もう終わった相手ですから」
「そうですか？　わたしにはお互いまだ終わってないように見えますけど」
「……」俯いて拳を握った。
「一年前、俺の嫉妬が原因で喧嘩して別れたんです。彼女には嫌な思いさせてしまいました」アイスコーヒーに浮かぶ氷に視線を落としながら言った。
「そうですか、じゃあ、未練たっぷりって感じですね。思いきって、ここでヨリ戻しちゃいます？」
「えっ、いや、もう無理ですよ」
「すいませーん」榊原さんが三宅絵里に向かって手を上げた。これまでの声とは違い溌剌とした声だった。俺は慌てた。「あっ、えー」としか声が出なかった。
　三宅絵里がテーブルにやってきた。
「はい」三宅絵里は笑みを浮かべて榊原さんの方に体を向けた。一瞬、俺に視線を向けたが、俺は視線をそらした。
「すいません、このチーズケーキもらえます」榊原さんがテーブルに置いてあったメニューにあるチーズケーキの写真を指差して言った。
「おひとつでよろしいですか」三宅絵里がそう言って、俺に視線を向けた。
「じゃあ、二つ」俺は指を二本立てて三宅絵里を見た。一年前と全く変わっていない。可愛いと思ってしまった。
　榊原さんは背が高く美しい女性で大人の魅力を感じる。一方、三宅絵里は小柄で笑顔が可愛く愛嬌のある女性だ。
「甘いものでも食べて落ち着きましょうよ」榊原さんが笑顔を向けた。
「はい、なんか、すいません。なんで彼女がここで働いてるのか……、ハァー、信じられません」
「これも運命かもしれませんね。やり直すチャンスかもしれませんよ」
「いや、もういいです」
「そうかなぁ、お似合いに見えますよ」榊原さんの笑顔には緊張がなくなっていた。
「あの頃は俺もそう思ってたんですけどね」
「このままだと島崎さん、ずっと後悔したままじゃないですか」
「うーん、そうかもしれないし、そうでないかもしれないし」
「わたし、今の島崎さんの気持ちがわかる気がします」
「なんか、変な展開になって本当に申し訳ないです」
「いいですよ。じゃあ、わたしはお手洗いに」榊原さんはそう言って立ち上がり席を離れた。すれ違うように三宅絵里がチーズケーキを運んできた。
「お待たせしました」俺の前にチーズケーキを置いて、榊原さんの方にも置いた。伝票を俺の前にすべらせて、ニコリと笑った。
「綺麗な人」空いた席を見ながら呟いた。
「仕事の関係の人なんだ」前を向いたまま視線を合わさずに言った。
「へぇー、仕事の関係？　今日は土曜日で会社休みでしょ。それに康史くんの職場は、ここから遠いじゃない。康史くんの家は近いけどね」
「急な打ち合わせでね、家の近くまで来てもらったんだ」
「ふーん、康史くん、おしゃれになってるからビックリ。靴がピカピカだね」
「あっ、そ、そうかな」俺は今日のために磨いた靴に視線を落とした。
「康史くん、相変わらずね」
「なにが」
「嘘つくのが下手くそ。俺、嘘ついてますって顔してる。ヘヘへ、おもしろい」
「あっ、そ、そっか」また、おしぼりでおでこの汗を拭いた。
「仕事関係は嘘だけど、お前の思ってるような関係じゃないから」
「別に言い訳しなくていいよ」
「言い訳じゃない。本当のことだ」
「そんな、ムキにならなくても、いいよ。わたしたちは、もう終わってるんだから」
　その言葉がグサリと胸をえぐった。
「それより、お前、仕事はどうした？」
「仕事？　へへへ、前の仕事は辞めちゃった」
「や、辞めた？　あの時、楽しそうだったじゃないか」
「ヘヘ、大人にはいろいろとあるの。康史くんには、わからないかもね」
「なに、言ってんだ。俺の方が七つも歳上だ。仕事の苦労は俺の方がわかってるよ。それに何でここで働いてるんだよ」
「ここなら、康史くんの家から近いから、もしかしたら会えるかなと思ってね。本当に会えちゃったからビックリ。まさか彼女といっしょだとは思わなかったけどね」
「だから、彼女じゃないって。ただの……」
「いらっしゃいませ」
　俺の話を聞かないで、来店してきたお客さんに向かって挨拶した。
「じゃあ、忙しいから、またね」
　来店してきたお客さんの方へ行ってしまった。仕事中だから仕方ない。
　にこやかな表情で榊原さんが戻ってきた。
「わぁ、美味しそうなチーズケーキ」両手を合わせ楽しそうな表情だ。
「すいません、気を使わせてしまって」
「いいですよ。その代わり、このチーズケーキは、ごちそうしてくださいね」
「も、もちろんですよ」
「じゃあ、いただきます」チーズケーキを一口入れてこっちを見た。「うぁー美味しい。注文して良かったぁ。島崎さんも食べて下さい」
「あっ、はい、いただきます」
「どうでした？　ヨリは戻りそうですか」
「いやー、わかんないです。彼女のなかでは終わってるんじゃないですかね」
「そうかなぁ、彼女のわたしを見る目は、敵対心丸出しでしたよ。きっと彼女も島崎さんのことを今でも好きなんじゃないかな」榊原さんは完全にリラックスモードで楽しそうになっている。
「島崎さんは、まだ彼女のこと好きなんでしょ」
「いや、そうですね。こうして会ってしまうと、なんか、やっぱり、いろいろと思い出しますけど……」
「はっきりしないなぁ。もう一度、彼女にアタックしましょう。わたし、これで帰りますから頑張ってくださいね」
「えっ」
「じゃあ、ごちそうさまでした。楽しかったです。ありがとうございました」榊原さんはそう言って逃げるように立ち去ってしまった。
「あっ、ちょ、ちょっと……」
　全く予想外の展開になってしまった。この後、どうしようかと考えながら、絵里を見たら目が合ってしまった。
「す、すいません」絵里に向けて右手をあげた。
「はい」ニコリと笑みを浮かべこっちに向かってきた。
「アイスコーヒーを追加でお願いします」
「おひとつでよろしいんですか」榊原さんの座っていた空いた席を見ながら言った。
「あっ、はい。一人はもう帰ったんで」前の席に視線をやった。
「では、アイスコーヒーおひとつですね。テーブルの上、片付けますね」
　手際よく空いたグラスや皿を片付け、ニコリと笑ってカウンターへと戻っていった。
　今、絵里には彼氏がいるんだろうか。前の仕事は何故辞めたんだろうか。前の職場で仲良くしていた男性社員がいたはずだ。そのことで喧嘩になった。絵里は恋愛感情はないと言っていたが、俺は信じてやれなかった。見たこともない男に絵里をとられてしまうと恐れていた。屋敷さんの言う通り、あの時の俺は絵里に対して愛が足りなかったのかもしれない。
　仕事は辞めたと言っていた。もしかしたら寿退社かもしれない。そう思ったら胸が苦しくなった。
「お待たせしました」明るい表情でアイスコーヒーを持ってきた。
　コースターを置いてアイスコーヒーのグラスを置いた。ストローは直接手で受け取った。
「さっき、ミルクとシロップ使わなかったね」
「あっ、あー」
「使わないなら下げとくけど」
「いや、入れるよ」
「もしかして、さっきは綺麗な女性の前でカッコつけてブラックにしたの」
「いや、そうじゃないけど。何となくだ」
「わたしの知ってる康史くんは、子供みたいにミルクもシロップもたっぷり入れてた。へへへ」
「仕事中だろ、しゃべってばっかりいたら怒られるぞ」
「大丈夫、もうこれであがりだから」
「あっ、そうか仕事終わりか」今から誘ってみようかと迷った。
「じゃあ、ごゆっくりね」
　絵里が去ろうとした。
「お、おい」
「なーに」振り向いた笑顔が可愛い。
「今は幸せなのか」
「わたし？」自分に向けて指差した。
「そ、そうだ。決まってるだろ」
「わたしは、今、すごーく幸せ」満面の笑みを返した。
「そ、そうか。それは良かったな」
「うん、すごく良かった。今、康史くんと一年ぶりに話が出来てすごく幸せ」
　絵里はそう言ってカウンターへ戻っていった。
「マスター、あがります。お先に失礼します」カウンターの方で絵里の声が聞こえた。
　俺は慌ててアイスコーヒーを飲んだ。結局ミルクとシロップは入れなかった。

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