① 神様のノルマ
「日本人の幸福度が低すぎると世界から非難を浴びている。今のままでは、我々、日本の神様のメンツが丸潰れだ。各々の担当地区の幸福度のノルマ達成に全力をつくしてくれ、話しはそれだけだ」
日本の神様のトップからの話に集会場に集められた各地区担当の神様達は他人事のように返事する。
「はい」と返事しておけば大丈夫だろうと。
しかし、
「あー、それから、特に幸福度の低い地区の担当者は、後で呼び出すからな」
「えーっ」
これで他人事ではなくなるかもしれない。皆、呼び出されてもおかしくない状況であることは自覚していた。
「わかったか」
「はーい」
呼び出されないことを祈るだけだ。日本の幸福度が低いことで、上層部もピリピリしている。これまで呑気に構えていた上層部も世界中から非難されはじめて、ついに重い腰をあげた。
「君の担当する西地区の幸福度が低すぎるので呼び出したんだが」
「あっ、はい、申し訳ありません」
「謝らなくていい、何故、こんなに低いのか、それを、ちゃんと説明しなさい」
「いやー」西地区の神様は頭を掻いた。
「さぼってたんだろ、西地区の人間をフォロー出来ていなかったんじゃないか」
「いえ、そんなことはありません。しっかり人間を観察しフォローしてまいりました」
「しっかり観察してフォローしていれば、こんなに低くなることはありえんだろう。わかってると思うが、担当地区の幸福度が低すぎると、君は神様でいられなくなる。そして、そんな君を神様と認定したわしの立場も危うくなる。今すぐ幸福度の低い人間と直接会って対策してくれ」
「人間に直接会って、ですか」
「そうだ」
「人間に直接会うことは、禁止ではなかったでしょうか」
「禁止だが、そんなこと言ってられないだろ。それとも、今のやり方で、君は西地区の幸福度を上げることが出来るのか」
「いえ、わかりました。人間に直接会ってみます」
「よし、ノルマは幸福度2割アップだ。よろしくな」
「困ったなぁ、これまでさぼってたのが、ばれてしまうな。はぁー、これが西地区リストか」
西地区の神様は、はじめて見る西地区リストのページを何度もめくっては閉じ、溜め息をついた。
「この中から、どの人間に会いに行けばいいんだろう。今から一人一人確認してたら時間ないしな」
最後は目を閉じたまま、適当にページを開いた。
「よし、この男にしよう」
横山彰 48歳、結婚20年。妻の優香、長女の祐実との3人家族。夫婦仲がうまくいかず幸福度が低い。ここ最近、長女の祐実との会話も無く、幸福度が一段と下がってきている。
「どこにでも居そうな冴えない中年男なんだろうな。しかし、なんとか幸福度を上げてやらないとな。まずは、こいつの会社の前で待ち伏せしてみるか」
② 幸せ度を上げに行く
横山は、大手電気メーカーで営業をしているらしく、神様は彼の働く会社の前で待つことにした。
神様は横山の会社の高くそびえたつ自社ビルの前で立っていた。こんな立派な会社で働いているのに、何故幸福度が低いんだろうか?と不思議に思いながらビルを見上げていた。
「日本の幸福度が低い理由は、日本人がわがままになっただけじゃないか。我々の責任じゃないよ。これ以上フォローしても日本人のわがままがエスカレートするだけだよ」
会議の後、東地区担当者が愚痴を言っていたが、全くその通りだと思った。西地区の神様も横山に会ったら本心は説教したい気持ちだ。
「お前らのわがままに付き合ってらんねえんだよ。こんな立派な会社で働けて、嫁も子供もいて、何が不幸なんだよ。甘えるのもいいかげんにしろよ」
そう言いたいが神様の立場では、そんな事は口に出来ない。
西地区の神様が、そんな事を思いながら、待っていると横山は現れた。予想通りの絵に書いたような中年のサラリーマンだ。大きな鞄を肩にかけ、お腹まわりの肉のせいでズボンがずれるのを気にしながら歩いてきた。西地区の神様は、横山が前を通りすぎようとした時に声を掛けた。
「あなた、横山彰さんですよね」
「あっ、はい、横山ですが」横山は西地区の神様の顔を見て、記憶をたどるように首を傾げた。
「少し、お時間いいですか」
「あっ、はい……、失礼ですが……、あなたは……」
「あー、わたしですか、わたしは、こういう者です」神様は、手書きで角が潰れた名刺を差し出した。昨日、横山と会う時に名刺が有った方が良いだろうと、西地区の資料の表紙を一部切り取り、マジックで書いた即席の名刺だ。
横山は怪訝な表情をし、少しシミのついた名刺に視線を落とした。
「人間を幸福にする神様、西地区担当……、ふぅーん……」そう言って、横山は神様に冷たい視線をよこした。
「どうも」神様は目尻を下げ、頬を緩めた。
「西地区担当の神様ですか……」
「そうなんですよ」
「神様にも担当地区とかあるんですね」横山は一段と冷たい視線を西地区の神様を突き刺すように送り続けた。
「昔と違って神様も忙しくてね」
「その西地区担当の神様が私に何の用ですか」名刺を胸ポケットに入れながら尋ねた。
「いやー、実はですね、あなたの幸福度が低いんですよ。担当の神様として、それを解決しないといけないんです」
「私の幸福度ですか、確かに低いでしょうね」横山は髪が薄くなった頭を掻いた。
「その原因のひとつが夫婦仲の悪さにあるようですから、夫婦仲が良くなる方法を、わたしと一緒に考えてみませんか」
「うーん、こればっかりは、いくら神様でも無理でしょうね」
「えっ、あきらめてしまってるんですか。夫婦仲を良くしたくないんですか……」
「そうですね、もうあきらめてますよ。何で、こんな女と結婚したんだろうと後悔しています。今思えば、結婚してしまったことが不幸の始まりだったんですよ。だから今さらどうしようもないんです」
「そうですか、結婚したことが不幸の始まりですか……、うーん……」神様は眉間にしわを寄せ、腕を組んだまま、しばらく動かなくなった。
「そろそろ、いいですか、私も帰らないといけないので……、まぁ、妻も娘も私の帰りなど待っていませんけどね」
横山は腕時計に目をやった。辺りは暗くなり、帰宅する同僚達の目が気になっていた。神様とか言っているが、わけのわからない宗教の勧誘だろうと思っていた。
神様は目を閉じたまま、まだ動かなかった。
「はぁ」横山は溜め息をついた。
「よしっ、決まった。これしかない」神様が急に目を見開いて、ポンと手を打った。
「何か良い方法でも思い付きましたか」横山は肩を落としながら、もう一度、腕時計に目をやった。
「絶対良い方法ですよ」
「そうですか、じゃあ、早く話して下さい。急いでるんです」また腕時計に目をやった。
「それはですね、結婚する前のあなたに会いに行って、結婚するのをやめてもらうんですよ」
「はぁ、そんなこと出来るわけないでしょ」
「いえ、出来ますよ。今回は特別ですが、あなたの幸福度を上げる為なら、やるしかないです」
「具体的には、どうするんですか」冷めた態度は変わらなかった。
「あなたは20年前の9月5日に奥さん、当時の宮本優香さんにプロポーズしてますよね」
「あっ、はいその通りです。何故知ってるんですか」
「はい、昨日までにあなたの事を調べておきましたから」
横山は、この神様は本物かもしれないと思い、身を乗り出した。
「じゃあ、これからどうすればいいんでしょうか」
「わたしの特殊な能力で、あなたを20年前のプロポーズした前日、つまり9月4日の夜にタイムスリップさせます。そして、あなたは直接20年前のあなたに会って、プロポーズをやめるよう説得するんです」
「なるほど、でも、うまく説得出来るでしょうか」
「20年前のあなた自身を説得するわけですからね、きっとうまくいきますよ。今、不幸になっている原因が結婚したことだと知れば、プロポーズは取り止めるでしょう」
「確かに、そうですね。やってみます」横山の目が輝いた。
「それでは、あなたを20年前にタイムスリップさせます。準備はいいですか」
③ 20年前、プロポーズ前日
「明日は優香にプロポーズするぞ。明日のレストランの時でいいな。なんて言おうかな。『俺についてきてくれ』いや『一緒に幸せになろう』ストレートに『結婚してくれ』の方がいいかな」
20年前の横山は、ベッドの上にあぐらをかき、腕を組んで天井を眺めながら呟いていた。明日のプロポーズする自分の姿と優香の喜んでいる顔を想像して、頬を緩ませた。
「夜遅くに悪いんだけど、ちょっといいかな」
眺めていた天井から人間の顔が出たと思った瞬間、ベッドの上に人間が落ちてきた。
「うわわわ、お、お化けだ」そう叫んで、ベッドから飛び降り、ベッドの上のお化けに目をやった。
「お化けじゃないよ、私だよ」ベッドの上に落ちた横山が言った。
「わ、私って、だ、だ、誰だ」20年前の横山はドアまで後ずさりしてバットを手にした。
「おい、おい、怪しい者ではないです。私です、私の顔を、よーく見て下さい。私は20年後の君ですよ。ほら、ほら、このホクロを見て下さい」
横山は眼鏡をとり、目元のホクロを人差し指でさした。
「えーっ、ほんとに20年後の俺か……、確かに俺のようにも見えるけど……」
20年前の横山は、横山を頭のてっぺんから足の爪先まで、何度も何度も見た。
「間違いなく、私は20年後の君ですよ」
「うーん、でも、20年で、こんなに太って腹が出て、禿げちゃうのか。ただのジジイになってるじゃないかよ」
「ただのシジイって、君は口が悪いな。自分自信に言われてるとわかっていても腹が立つな」
「20年後の俺が、何でここにいるんだ。20年後にはタイムマシーンも出来ているのか」
「いや、神様が私をタイムスリップさせてくれたんだ」
「神様が……、何で神様がそんなことしてくれたんだよ」
「それはだな、私の幸福度が低いんで、それを上げる為だそうだ」
「今の俺は幸福だけど、20年後の俺の幸福度が低いのは困るな」
「そうだろ、それで君にお願いしたいことがあって来たんだ」
「なるほど、俺に出来ることなら、もちろん協力するよ」
「頼むよ、君にしか出来ないことなんだ」横山は手を合わせた。
「俺に何してほしいんだ」
「してほしい、というよりやめてほしいんだ」
「やめてほしい……」
「そう、やめてほしいことがあるんだ」
「タバコや酒かな、ギャンブルは最近は勝てないからやってないしな」
「いや、それは今の私の方がよくやっていると思う。家に帰りたくないから、毎日のように飲みに行ったりパチンコに行ったりしているから」
「そりゃ、ダメだよ。体にも良くないし、早く帰って家族を大切にしないと」
「……」
「他に俺がやめないといけない事なんてあるかな」
「明日、君は優香にプロポーズするつもりだろ」
「あー、そうだ、今は胸がワクワクのドキドキだ」
「そ、そうか、それなんだけど、えーと……、実は、やめてほしいのは、そのプロポーズなんだ」
「えーっ、何言ってんだ、それはダメだ」
「頼む、明日のプロポーズが、私の不幸の始まりなんだ」
「ふん、不幸の始まり、そんなはずない」
「今の私は、不幸なんだ。その原因は優香と結婚したことなんだ」
「何、言ってんだ。俺は優香を愛してるんだぞ。優香と結婚して不幸になるわけないだろ。いいかげんな事言うな」
「20年後の私が言ってるんだから間違いないんだ。今の君には、わからないだけなんだ」
「うるさい、人生の大事な時に邪魔するな」
「人生の大事な時だから、こうして頼みに来たんだ。わかってくれよ」
「わかるわけない。お前の言うことは絶対に信じない。俺は優香を幸せにすると決めたんだ」
「君は、恋しているから冷静でなくなっているんだ。20年後の優香は、私に対して、給料が安いだの、パチンコばかりしてるだの、少しくらい家事を手伝えだの、そんな事しか言わないんだ。私が仕事で疲れていることなんてお構い無しだ」
「違う、優香は、そんな女性じゃない」
「優香は変わってしまうんだよ。私は一緒にいるだけでも苦痛なんだよ」
「だまってくれ、悪いのは優香じゃない。お前が、お前が、お前が悪いに決まっている。お前が優香を幸せに出来なかっただけなんだ。俺は絶対にそうならない。優香を幸せにする」20年前の横山の目から涙がこぼれた。
「俺の夢を奪うな」20年前の横山が小さく呟いて拳を握った。
横山は言葉を失った。20年前の自分の姿を見て、横山の目にも涙が浮かんだ。
横山は「もう一度だ」と小さく呟いた。
④ 現在に戻って
「どうですか、うまくいきましたか」
「いや、20年前の私にプロポーズをやめさせることは出来ませんでした」横山はうなだれていた。
「そうですか……、それでは、もう一度、説得に行きましょう。すぐに準備して下さい」
「いえ、もうやめておきます。そんなことしたら20年前の私が、きっと不幸になります」横山は涙がこぼれそうになり、空を見上げた。
「でも、このままだと、あなたが幸福になれないじゃないですか」
「いえ、私が間違ってました。幸福になる為に必要なことは、私が変わることだったんです」
「あなたが変わることですか……」
「そうです、私がもう一度、20年前の私の気持ちに戻ること、そう変わることです」