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人生も後半戦

人生も後半戦になったら、これまでの生き方に後悔することもあります。しかし、後悔しても仕方ない。この先楽しく生きるためにいろんなことに挑戦

小説を読もう「シグナル 関口尚」の言葉表現3

関口尚のシグナルの表現をまとめただけの資料です。

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シグナル 関口尚
商品説明
映画館でバイトを始めた恵介。そこで出会った映写技師のルカは、一歩も外へ出ることなく映写室で暮らしているらしい。なぜ彼女は三年間も閉じこもったままなのか? 「ルカの過去について質問してはいけない」など三つの不可解な約束に困惑しながらも、恵介は固く閉ざされたルカの心の扉を押し開いていく。切なく胸を打つ、青春ミステリ感動作。



かつてぼくをさんざん罵っていたオヤジの姿は、もうない。肌は乾いてつやを失い、髪は白髪まじりで伸び放題。十年ほど前に母が選んだ水色のポロシャツを、よれよれになったいまでも着ている。体はひと回り小さくなっただろうか。全体的に小さくなったのではなくて内側から萎(しぼ)んでしまったかのような感じがする。

ルカは深いため息をついた。
「どうしたんです」
「だってさあ」
「あ、わかりました」
「ん?」
「江花さんに会いたくないんでしょう」
図星だったようだ。ルカはうな垂れてみせる。

「やっぱり江花さんは誰かを好きってわけですか」
ルカはうんざりとつぶやいた。
「イエス」

ルカはばかばかしいと言わんばかりに、江花さんに一瞥(いちべつ)をくれただけで通り過ぎた。

ルカはすでに架けられていた一号機のフィルムを全部はずすと、簡易ベッドにどかりと腰を落とした。怪我をしている右足を抱えるようにして足を組む。

ごくりと唾を飲んでから、フィルム架けに取りかかった。

不安になってルカを見ると、彼女は口笛を吹くふりをして横を向いた。本気ですべてぼくに任せるつもりだ。

心臓の鼓動が激しすぎて、軽い嘔吐感を覚える。

電話の向こうの春人に聞こえるように、わざと大きくため息をついた。

心地よく体を撫でていく五月の夜風は、一年中でいちばんビールを飲みたい気分にさせる風だと思う。

コロナは瓶のまま飲んだ。あおるように飲みながら、ルカを盗み見た。

テーブルの下で春人がぼくの膝に膝をぶつけてきた。会話をどう続けたらいいのか迷っているようだ。しかしぼくだってわからない。

「亡くなる前日まで?」
ぼくの問いにルカはゆっくりと頷いた。

動画の再生がすべて終わると、しんみりした空気が流れた。払拭しようというのか、急にルカが笑みを作って、
「さて」
と手を叩く。

南川さんはあやふやな笑みを浮かべた。

お辞儀をして事務室を出ていこうとすると、南川さんが追いかけるように言ってきた。
「根拠なんてまるでないんだけどな、宮瀬君がいつか杉本を外へ連れ出してくれるんじゃないか、なんて思うときがあるんだよ」

「遅い」
と不服げにもらす。暗い映写室の中、編集台に置かれたデスクライトの明かりに浮かび上がる彼女の顔は険しかった。

「はい、もう駄目。どいて」
編集台の椅子をルカに奪われる。

「集中してたんですよ。だから、つい」
「いや、いいんじゃないの。すごく面白いし」
ルカは必死に笑いを噛み殺す。

ルカは目に涙を溜めて笑った。

「そうだね」
返事は肯定だったが、表情は冴えなかった。

ぼくとルカは見つめ合って頷き合った。「いつか」と言って交わされた約束は、なかなか果たされないものだ。けれどもルカは、そのいつかを、いつまでも待っていたくなるような人だった。

同い年くらいだろうか。大学生といった雰囲気だ。おしゃれで小綺麗な格好をしている。お金があって、流行のファッションにも敏感な人間であることはすぐに見てとれる。やや長い髪は明るい茶色に染められ、やわらかそうな前髪が夕暮れどきの生暖かい風にさらさらと靡(なび)いた。

「どんな仕事をしてるんですか」
一歩、ずいと近づいてくる。

「映写は基本的にひとりでやるもんですよ」
曖昧に返した。すると、なぜか彼の顔に険しいものが走った。むずかる幼児の表情が、一瞬だけ彼の美しい顔を壊して表れたと言ったらいいだろうか。それはすぐに消えたが、ぼくの胸にいやなざらつきが残った。

「いや、そうじゃなくてですね、ほかにも映写をやっている人がいるかどうか訊いてるんですよ」
必死に苛立ちを抑え込んでえるかのような口調だ。頭の、悪い人間に説明するのはわずらわしくて苛苛する。そう彼の顔には書いてある。

理解できずに苦笑いを浮かべると、彼は冷ややかな目つきで髪を掻き上げた。

口元が笑みの形をとる。しかし目は笑っていない。白目の部分が青い翳(かげ)りに縁取られている。顔は蒼白くて血の気を感じさせない。

目の前の彼はもともと血の通っていない静物のようだ。あえて言うなら、美術室の石膏の像がまちがって動き出したかのようだった。

「少しはあの子との仲は進展したの?」
近所のゴシップ好きのおばさんみたいな口調で近づいてくる。

「知ってる」
江花さんはいきなり小声になった。

「ないない」
と大袈裟に手を横に振った。

「あいつってね、銀映館の周りをうろつくだけで一度も映画を観てたってことないのよ。きっとおかしいのよ、ここが」
江花さんは自分の頭を指差した。

江花さんに睨まれて、壁際まで後退する。
「いい?言わないでね」
気圧されて、頷くしかなかった。
「わかりました」

返事をせずにいると、彼は横に並び、無遠慮に顔を覗き込んできて言った。
「おれ、レイジっていうんだ」