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小説を読もう「ラプラスの魔女 東野圭吾」の言葉表現2

東野圭吾の小説が好きで特に表現のしかたに憧れています。そんな表現をまとめただけの資料です。

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ラプラスの魔女 (角川文庫) 著者 東野圭吾 (著)


那須野はホームに降り立った。予想したよりも寒くはない。冷たい風が、少し火照った顔に心地よいほどだった。

「すみません。自分は詳しいことは聞いてないんです。とにかく那須野さんを駅まで迎えに行けといわれただけで」
「ふうん、そうなのか。じゃあ仕方ないな」
「すみません」前を向いたまま、女は小さく頭を下げた。

那須野は体の位置を変え、ルームミラー越しに女の顔を確認してみた。眼鏡をかけた目元しか見えないが、なかなかの美人のように思える。鏡の中で女と目が合った。「何か?」訊いてきた。
いや何でも、と那須野は体勢を元に戻した。

ダウンジャケットのポケットから煙草とライターを出した。一本をくわえ、火をつけようとした時だ。
温泉の臭いがした。
よくいわれる、卵の腐ったような臭いというやつだ。
温泉地だから当たり前か  ぼんやりとそう考えた直後、口から煙草が落ちていた。

やはり考えすぎなのか、と思考はいつも振り出しに戻る。

奥西哲子がそこまで読み上げた時、机の上の電話が鳴りだした。彼女はため息をつき、受話器を取り上げた。「もしもし……はいそうです。……えっ?」彼女は眉をひそめ、青江を見た。「はい、おりますけど。……わかりました。少々お待ちください」

「どうされました?」内川が訊いてきた。
「いや、あの……」説明に困りながら、青江はその人物を凝視した。やはり間違いなかった。あの娘だ。

「もっと詳しいことが知りたいといってるの」彼女は苛立ったような声を出した。青江は負けん気の強そうな顔を見つめた。彼女は目をそらすことなく、見返してくる。

「わかった。もう訊かない」片手を上げ、歩きだした。

聞こえていないはずはなかったが、彼女は足を止めず、手を上げることもなかった。青江はため息をつき、反対側に歩き出した。

彼女は入ってきて、ブーツを脱いだ。部屋に足を踏み入れると、やけに素早い動きでテーブルのそばに腰を下ろした。

彼女は一瞬青江を睨んだが、すぐに目力を弱めた。「お願いしたいことがあるの」

彼女は眉がぴくりと動いた。「知ってるの?」

彼女はスマートフォンを出してきて、手早く操作してから青江のほうに画面を向けた。二十歳前後だろうか。繊細そうな青年の笑顔が映っている。

青江は彼女の言葉を手で制し、首を振った。

羽原円華は口元を歪め、鼻から息を出した。「悪いけど、それはいえない」

「だから、いえないといってるでしょ。それに、教授には関係ない。ぜんっぜん、関係ない」憎らしい口調で言った後、それ見せて、と資料を入れた封筒を指差した。

羽原円華は、うんざりしたようにため息をつき、壁の時計を見上げた。つられて青江も目を向けた。時計は九時半を示していた。

羽原円華は困惑と躊躇が混じったような表情を浮かべた。しかし不快そうでなかったのは、青江にとって救いだった。やがて彼女の唇が動いた。「さっさと準備して」

周辺が真っ白なので、懐中電灯の光は想像以上に遠くまで広がった。闇夜に浮かぶ雪景色は、じつに幻想的だ。

「役所の者です。矢口さん、ちょっと開けてもらえませんか」中岡は努めて明るい口調でいった。舌打ちのような音が聞こえた。しかし開けてはくれるようだ。

「そうなの?おかしいな。休みの日に会ってるのを見かけたって聞いたんだけどね」
はっとしたように口を開けてから、矢口は何度か瞬き(まばたき)をした。
「一回だけです。買い物に付き合わされたんです。お客さんへのプレゼントを選ぶのに。ネクタイでした。本当です」

「ふうん。その時はどんな話をした?」
矢口は一瞬目を泳がせた後、「そんなの覚えてないっす」と小声で答えた。

矢口はコーヒーに少し口をつけると、躊躇いがちに唇を開いた。
「アングラのアドレスを教えてくれっていわれたんです」
「アングラってのは?」
「アングラサイトのことです」
「所謂(いわゆる)、闇サイトだな」
矢口は頷き、手の甲で口元を拭った。

中岡は、コーヒーカップに伸ばしかけた矢口の手を掴んだ。そのまま指を捻ると矢口の顔が歪んだ。「痛てえ……」
「とぼけるのもええ加減にしろ。そのサイトのことはよく知ってるんだろ?」

「殺しもか?」
矢口は迷ったように唇を舐めてから、「はっきりとは書いてないけど、それのことだなって依頼とかもあります」といった。

コンコン、とドアが三回ノックされたのは、青江が大学院生のレポートに目を落としている時だった。

「ああ、彼の……」奥西哲子の眉が動いた。

「さあ!」青江は大口を開けた。だが少し考えるうちに事情が呑み込めた。「……なるほど、そういうことか。パクり論文を、さらにパクったわけだな」

「そうだったんですか」奥西哲子は、かすかに眉根を寄せた。「不可解というと、たとえばどんなことが?」

奥西哲子は怪訝そうな顔で首を傾げた。「事故でないなら、ナンなのですか」
「だから、それはつまり------」人為的なもの、といいかけて青江は言葉を呑み込んだ。

青江は両手を頭の後ろに回し、パソコンの画面を見つめた。

中学二年になる息子の壮太が、ソファに座ってスマートフォンをいじっているところだった。彼は父親のほうを見ようともせず、無言で立ち上がった。そしてスマートフォンに目を落としたまま、隣にある自分の部屋へと入っていった。

奥西哲子は眼鏡に指を添えた。「そういうことなら、確かに変ですね」

「そうかもしれませんね。でも先生、この件については役目を果たされたわけですから、本来のお仕事に戻っていただけませんか。座長をしておられる研究会の原稿、そろそろ書いていただけませんかと事務局のほうから催促がございました」眼鏡の奥目きらりと光った。

「全く心当たりがありません」
白衣の袖をまくり上げた奥西哲子が、実験器具の整理をしながら素っ気なく答えた。青江のほうを見ようともしない。雑談に付き合っている暇はない、と横顔が語っていた。「即答だな。少しぐらい考えてみてくれないか」
眼鏡をかけた無表情な顔が、ようやく青江に向けられた。
「考える余地がありません」

「うーん、やっぱりそうか」
青江は床を蹴り、座ったままで椅子をくるりと一回転させた。、

奥西哲子は両手を腰に当て、眉をひそめた。「何のために?」

「そうですか。失礼いたしました」
電話を切り、がっくりと首を折った。番号はでたらめだったのだ。

「あの人か……」野生的な面構えが脳裏に浮かんだ。

「いえ、ちょうどよかった。私のほうにも相談したいことがありましたから」
青江の言葉に、中岡は意外そうに眉を上げた。「どんなことですか」

すると中岡はスーツの内ポケットから手帳とボールペンを出してきた。
「このボールペンを被害者だとします。まず被害者を、ある場所に一人で立たせます。地形的にガスが溜まりやすい場所です」テーブルの上でボールペンを立てて持った。
「そこから離れた場所にバケツなどの容器を置きます。被害者の位置に対して風上です。この手帳を容器とします」手帳をボールペンから三十センチほど離れたところに置いた。
「この容器の中で液体を混ぜ、硫化水素ガスを発生させます。発生したガスは、風下に移動します。その間、犯人はガスマスクを装着した状態で風上に避難しています。やがて被害者の周囲においてガスの濃度が高まり、ついに死に至る」そう言ってボールペンを倒した。「いかがでしょうか。この推理は?」

青江はテーブル上のボールペンと手帳を眺めてから顔を上げた。中岡の野心に満ちた目を見返した。

だが中岡は得心がいかない顔だ。
「単にそこまで考えが及ばなかった可能性もあるのではないですか」

「それとも奥さんが、事故が起きる前に現地に行った形跡でもあるのですか」
「いやそれは……確認してみます」中岡は手帳を広げ、ボールペンでメモをした。

あっ、と小さく声を漏らした。
「何ですか?」中岡が手帳から顔を上げた。

青江は鼻の下を擦った。
「赤熊温泉の時と同様、偶発的な事故のように思えます。ただ、腑に落ちない点も多くて」

青江は両手で自分の太股を擦った。話しづらいことを口する時の癖だ。
「中岡さんに相談するのもおかしいのかもしれませんが、ちょっと気になることがありましてね。じつは赤熊温泉を調査した時、立入禁止区域内で、ある人物と会ったんです。以前からの知り合いとかではありません。ところが苫手温泉に行った時、またその人物と会いまして」

「ははあ……」中岡は人差し指を立てた。

中岡は大きく胸を上下させて息を吐き出した。
「青江先生、その話は大変重要な問題を含んでいますよ。わかっていますか」

中岡は横を向き、考え込むようにしばらく黙っていたが、視線を青江に戻しながら口を開いた。
「さっきの私が話した方法ならどうですか。現場よりも少し高い場所で硫化水素を発生させるわけです。それなら犯人の足跡は残らない」

つまり、と中岡は青江の胸元を指差してきた。「羽原円華という若い女性が捜している男こそ、水城義郎の妻の共犯者なのかもしれないわけだ」

だが青江の言葉は耳に入らなかったらしく、中岡はクリックを続けている。やがて画面にいくつかの写真が並んだ。