③『婚カツ屋』という名のちょっと変わった結婚相談所
島崎康史 面談
「そんな事に協力出来るわけないです。それって詐欺じゃないですか」 俺はテーブルを叩き、前に座る男を睨み付けた。声が震えてしまった。自分でもビックリするくらい、大きな声になった。それなのに、前に座る男は、平然と右の口角を上げて笑っている。
この男は結婚相談所の所長だ。俺は行きつけの焼鳥屋の大将にこの男を紹介された。俺をある女性に紹介したいから、この男と面談してくれと言われて、今日ここに来た。しかし、この男は俺に詐欺の話を持ちかけてきた。
これから紹介する女性と付き合い、男が女性から紹介料の百万円を受け取ったら、山分けして姿をくらまそうと言うのだ。大将から女性の写真を見せてもらっていた。モデルのような美しい女性だった。こんな汚い結婚相談所に百万円を支払わなくても、簡単に結婚出来そうな女性なのに。
ここを紹介してくれたのは、この建物の一階にある焼鳥屋の大将とおかみさんだった。二人は詐欺のことを知って、俺に紹介したのだろうか。いや、大将とおかみさんに限ってそんな事は絶対ない。二人もこの男に騙されているんだ。そう信じていた。
「協力できません。失礼します」ソファから立ち上がり出口へ向かった。その時、ドアの前に立つ男性を見て、金縛りにでもあったかのように体が凍りついた。
「えっ……」
「おぅ、島崎くん」
「た、大将……、ど、どうして、ここに」
いつも焼鳥屋で見せてくれる表情とは違い、眉間に皺を寄せ、口を真一文字にしていた。
三日前に、焼鳥屋に行った時、大将からここを紹介してもらった。けど、まさか……、大将も詐欺グループなのか、一体どういうことなんだ。
三日前
「いらっしゃい」威勢がよく温もりのある大将の声が店内に響く。
「あらー、島崎さん、久しぶりね、いらっしゃい。今日は嬉しそうな顔してるわね。いいことでもあったの」おかみさんが優しく声をかけてくれる。この感じが好きだ。九州の田舎から出てきて独り暮しの俺にとって、ここは心が癒される空間だ。
「わかります?」
「うん、島崎さんはすぐに顔に出るから」
「えへへ、それがね、めずらしく仕事が順調なんですよ」
「あらー、良かったじゃない。でも、めずらしくじゃないでしょ。島崎さん、いつも頑張ってるから」おかみさんが俺の肩をトーンと叩いてニッコリと笑みを向けてくれる。
「いやー、そんなことないですよ。上司に怒られてばっかりで、ここで大将とおかみさんに愚痴聞いてもらってるから、なんとか仕事も続けられてるんです」
おかみさんが出してくれたおしぼりで手を拭いて四つ折りにしカウンターの端に置いた。
「じゃあ、いつもので」
「ほろ酔いセットね」おかみさんはカウンターの中へと向かった。
「あっ、そうだ」おかみさんが胸の前で手をパンと合わせた。大将と俺はおかみさんの方を見た。
「どうした?」大将が言うと
「あの話、島崎さんがいいかなと思ったんですけど」
「あの話?」大将が首を捻ってから俺の顔を見た。俺も首を捻った。
「そう、あの話ですよ。ほら、屋敷さんの……、ほら……」おかみさんが大将の肩を軽く叩いていた。
「おーっ、屋敷さんのな。はいはい、わかった。なるほど。いいかもな」大将が俺の顔を見ながらニヤリとした。
「そうでしょ」おかみさんの顔が自慢気になった。俺には何のことかさっぱりわからなかった。
「あの話って何ですか」
「あーっ、すまんな。島崎くんは独身だったよな」
「あっ、はい、そうですけど……」
「好い人はいるのか」
「いや、残念ながら」頭を掻いた。
「いやね、知り合いから、ある女性の見合いの相手に三十歳位の男性を紹介してほしいと頼まれてるんだ」
「へぇー、そうなんですか」
「それがさー、相手の女性が、すげえ美人でな。ヒヒヒヒ」大将の目がいやらしく、への字になっていた。
「へぇー、美人、ですか」少しカウンターから身を乗り出した。
「そう、わしが若かったら、即アタックしただろうな」
「なに、鼻の下のばしてるの」おかみさんが冷たい視線を大将に向けながら、俺のところに写真を持ってきた。大将は首をすくめ俺に向かって舌を出して見せた。
「この女性よ。本当に美人よ」おかみさんが一枚の写真を渡してくれた。写真に視線を落として俺は目を見開いた。胸から上の正面から撮った写真で典型的な美人顔だった。綺麗な二重瞼に黒い瞳、スーっと通った鼻筋、薄い唇の口角がキュッと上がっている。おかみさんが横に立っていた。トントンと俺の肩を叩いて、ニヤリと笑い二枚目の写真を渡してくれた。俺はペコリと頭を下げて二枚目の写真を受け取った。全身正面の写真だった。スタイルがよくスーツ姿がよく似合っている。最後に全身後ろ姿の写真を渡された。女性らしい曲線美の後ろ姿に色気を感じた。こんな美人が彼氏を探しているのが不思議だった。
三枚の写真を順番に何度も何度も見続けた。店内に流れているはずの懐メロも聴こえなくなっていた。
『バンバン』
「とうだ?」
「あっ、はい」
カウンターを叩く音と大将の大きな声で我に返った。
「はぁ、やっと聞こえたか」何度、呼んでも気付かなかったようで大将があきれたように言った。
「すいません。ボーッとしてました」
「なっ、美人だろ。ボーッとしてたんじゃなくて、見惚れてたんだろ」大将が腕を組んで自慢げに言う。
「こんな綺麗な女性が本当に俺でいいんですかね」興奮して生唾を飲んだ。
「島崎くんよ、その気になってるみたいだけどな、わしらが紹介したいつぅだけで、この女性があんたを気に入って紹介してほしいと言ってるわけじゃないからな。ハハハ」大将が大声で笑った。
「ま、まぁ、そうですよね。わ、わかってます」俺は顔が熱くなった。写真の女性があまりに綺麗なんで舞い上がってしまった。
「もし、島崎さんがよかったらの話だけど、どう? 会ってみない?」
「はい、この女性は気に入りました。是非、紹介してほしいです」
俺の胸は弾んでいた。仕事は辛いこともあるが、まずまず充実していた。一方、私生活は一年前に彼女と別れてから出会いすらなく、三十歳を過ぎて少し焦りを感じていた。断る理由なんて微塵もなかった。
「島崎さん、ちょっと落ち着いてね」おかみさんが少し後ずさりしながら両手の平をこっちに向けた。俺はそんなにガツガツしていたのだろうか。
「島崎くん、気が早い。紹介する前に面談があるんだよ」大将が嬉しそうな表情を浮かべていた。
「め、面談? ですか?」
「そう、面談だ」
「誰と面談するんですか」
「実はね、このビルの三階に小さな結婚相談所があるの。その写真の女性は、そこの結婚相談所からの紹介なの。だから結婚相談所の所長と一度面談してもらわないといけないの」
「面談でも何でもします」
大将が、すぐに結婚相談所の所長に連絡してくれて三日後、面談するということになった。
俺はこの三日間ワクワクしていた。写真の女性が頭から離れなかった。それなのに……だ。
「た、大将……、どうして、ここに」大将は眉間に皺を寄せ、口を真一文字にしていた。
「島崎くん、すまんな」大将は俺の肩に手を置いた。
「大将、俺、詐欺なんてしないです」
「いいから、落ち着いて。島崎くん、ちょっと座ろうか」
「いや、帰ります」
「島崎くん」大将が優しい笑みを向けてきた。
「俺、無理です」涙が出そうだった。
「島崎くんが詐欺行為に加担しないことくらいわかってるよ。さっきの詐欺の話は、この人の冗談なんだ。心配になって見にきて良かったよ」大将が結婚相談所の所長の屋敷という男に顎を向けた。
「じょ、冗談?」
「そう、この人がよく使う手なんだ」
俺は屋敷という男を見た。ソファに座ったままニヤリと笑っていた。
「屋敷さん、島崎くんは真面目で正直な男です。こんなテストみたいなことしなくても、わしが保証します」
「島崎さん、悪かったな。詐欺の話は、大将の言うとおり、冗談だ。ハハハ」
「じ、冗談……、ハハハ? ですか」
「そう、あんたがどんな反応するか見たかったんだ。おかげで、あんたが真面目で正義感の強い男だとわかったよ。そして熱い男だ」
「だろ、わしは島崎くんを二年間見てきたんだ。本当に優しく真面目で情のある男だよ」
「詐欺の話は俺を試したってことですか」
「そういうことだ。まっ、気にするな」
気にするなと言われても、勝手すぎる。
「じゃあ、面談の続きでもやるか」
「はぁ」俯いたまま気のない返事になった。
「元気ないなぁ。面談やるぞ」屋敷という男は両手をパーンとならした。
「いや……、まぁ」面談する気分はなくなった。写真の女性は捨てがたいが、この屋敷という男からは紹介してもらいたくない。
「あんたはすぐ態度に出るな」
「島崎くんは、自分の気持ちに嘘のつけない正直者ということだよな」大将が隣でフォローしてくれた。
「周りの気持ちを考えない、自分だけがかわいい、わがままなだけじゃないのか」
屋敷の言葉に腹が立ったが、確かに俺はわがままなところがある。怒りをすぐに他人にぶつけてしまう。大将がせっかく紹介してくれているのに……。
これまでもカッとなって周りに迷惑をかけたりして失敗した。前の彼女の三宅絵里とも、俺のカッとなる性格のせいで別れてしまった。
大きくゆっくりと息を吸った。少し落ち着いた。
「申し訳ありません。感情的になってしまいました。今から面談お願いします」
「島崎くん、大丈夫か?」大将が眉をハの字にして俺の顔を覗き込んだ。大将に顔を向けて小さく頷いて笑みをつくった。
「大将、いつも本当にありがとうございます」
「ご機嫌もなおったみたいだし、始めるか。大将も一緒でいいですか」
「あっ、あー、もうしばらく居てもいいかな」
「私は構いませんが」屋敷という男は、そう言って俺の顔を見た。
「俺も構いません。大将が居てくれた方が心強いです」大将の顔を見て、もう一度笑みをつくったら一段と気持ちが落ち着いた。
「わかった、じゃあ、はじめるか」
「はい、お願いします」背筋をピンと伸ばした。
「まず、島崎さんは社会人になってから何人の女性と付き合った?」
「社会人になってからだと一人ですね」
「一人? イケメンなのに以外と少ないんだな。あんたモテるだろ」
「いえ、全然モテないです」
「付き合った女性とは結婚は考えなかったのか」
「考えました。付き合い始めてすぐに結婚したいと思っていました」
「ほぉー、結婚願望が強いんだな。で、その女性とは、どれくらいの期間つき合ったんだ」
「二年弱です」
「でも、結婚は出来なかったわけだ」屋敷という男がニヤリと笑った。
「残念ながら、ダメでした」
「フン、ダメでした、か」屋敷という男は鼻を鳴らし、ソファに体を預けて腕を組んで、俺の顔をじっと見た。バカにされているようで、また腹がたってきた。
「まっ、若い時はいろいろあるからな」大将が俺の肩をポンポンと叩いた。
「どうやって知り合った?」
「彼女は職場の展示会にアルバイトで手伝いに来ていた学生でした。展示会の度に何度も来てくれていたので顔見知りになりました」
「あんたから告白したのか」
「いえ、俺、そういうの苦手で」
「じゃあ、向こうから告白してきたわけだ。モテる男はいいな」
「いえ、そんなモテませんよ。彼女を見て俺が先に気に入っていたんです。だから、少しですけど特別扱いしてました」
「どんな?」
「大したことじゃないです。差し入れに彼女のお気に入りのスイーツを持って行ったり、仕事のアドバイスをしたり、彼女がミスした日は帰りに食事に誘って、落ち込んだ彼女を励ましたりしてたんです」
「なるほど。イケメンはエサさえ撒けば、後は勝手によってくるわけだ」
「い、いえ、そ、そんなことはありませんでしたけど」
「まぁ、いいわ。で、なんで別れたんだ」
「別れた理由ですか……」自分の情けない部分で言いにくいけど、正直に話しておこう。
「俺の嫉妬が原因です」出来るだけ軽い口調で言った。
「フーン、嫉妬ね、よくあることだな」屋敷という男がつまらなそうに言った。
「すいません」なぜか謝ってしまった。
「別に俺に謝るなよ。嫉妬した理由を教えてもらえるか」
「あっ、はい」思い出したくないけど、まぁ、いい。
「付き合い始めた時、彼女はまだ大学生だったんですが、その後、就職して社会人になると、彼女が職場での出来事を話すようになって……。仕事が楽しかったみたいです。困った時は上司や先輩の男性達が助けてくれると嬉しそうに話すんです。そんな話がだんだん嫌になってきて、嫉妬するようになって……、ハァー」話しているうちに自分が情けなくなってきた。
「嫉妬して、あんたが変わっていった」
「そうですね、彼女が職場の話を始めると、急に機嫌が悪くなったり、彼女が会社の飲み会に行く時も門限を決めたり、帰る前に俺に電話するようにさせたり、冷たくしたり束縛したりするようになってしまいました」
「彼女は息苦しくなって、楽しくなくなったわけだ」
「そうですね。彼女が自由にさせてほしいと言ってきて、それで、俺がカッとなって喧嘩になってしまって……、情けないです」話しているうちに声が小さくなってしまった。
「島崎さん、あんたは、いい男だよ。大将の言うとおり真面目で正直者だ。こういう話は普通、隠したがるもんだけど、正直に話してくれた」
「あっ、はい、情けない話ですけど」
「イケメンでモテるから、それが邪魔してるのかもしれないな。フラれること失恋に慣れてないから怖いんだろ」
「フラれることに慣れてない、ですか」
「そう、フラれた経験は?」
「その彼女だけです」
「だろ」俺に向けて指を差した。「モテる男はフラれるのが怖いんだ」
「確かに、フラれるのは嫌ですけど、俺はモテません」
「いいや、イケメンだからモテるはずだ。大将みたいな顔だったら、フラれることなんて怖くない。おかみさんにフラれてもフラれてもフラれてもアタックしたんだぞ」屋敷さんが大将の顔を横目で見ながらニヤリと笑った。
「屋敷さん、そりゃないよ。わしだって、若い頃はモテたんだぜ」大将が笑っていた。俺もつられて笑った。
「大将は、おかみさんに三回フラれたんでしたよね。それでも告白をし続けた」
「いやー、屋敷さん、ここでその話ばらすのー。実は五回フラれたんだけどね。ハハハ」
「確かにおかみさんは若くて綺麗ですもんね。最初は大将とおかみさんは親子かと思いました」俺もつられて大将に失礼なことを言ってしまった。
「えー、島崎くん、そんな風に思ってたの。参ったなぁ」大将は髪の毛の無い頭を掻いた。
「大将、すいませんね」屋敷さんが笑いながらペコリと頭を下げた。
大将のおかげで場が和んだ。
「でも、俺にとって大将とおかみさんは理想の夫婦です。お互いが信頼しあってるように見えます」
「確かに、大将とおかみさんは愛し合ってるオーラが出てる」
「どうしたら、そんな風になれるんですか」
「いやー、わしもわからんけど。理想の夫婦と言われるほど仲良くないぞ。しょっちゅう喧嘩してるわ」
「喧嘩しても、お互いに真心があるんだろうな。お互いを思いやる気持ちだ」
「お互いを思いやる気持ち、真心ですか」
「そう、思いやる気持ち、真心を持つと嫉妬もなくなってくる」
「真心ですか」
「島崎さん、恋と愛の違いってわかるか」
「恋と愛の違いですか。何となくわかります」
「これは、ある人から聞いた話だけど、恋という字は心が下にあるから下心があって愛という字は真ん中に心があるから真心があるそうだ」
「確かにそうですね」
俺は恋という字と愛という字を手のひらに人差し指で書いてみた。
「最初は下心から始まる恋がだんだんと真心に変わって愛になるんじゃないか。恋から恋愛が始まって愛になる」
「大将とおかみさんは愛になってるってことですか」
「そう、だから大将も最初は下心だらけだった。スケベな男だったはずだ」
「屋敷さんは、本当ひどいこと言うね。けど、確かにそうだったかな。何とか自分に振り向かせようと必死だったなぁ」大将は昔を懐かしむように天井を見上げた。
「そういう関係になれるかどうかだ。それは最初はわからない。後は付き合いはじめてお互いに愛が芽生えてくる付き合いが出来るかだ」
「俺には難しいです。どうしたらうまく恋愛ができるのかわかりません」
「難しく考えないほうがいい。恋愛はお互いが楽しめばいいんだ。うまくいくかどうかは縁次第だと思って、ダメになったら縁がなかったと諦めろ。真心を持つように心掛けておけば、それでいい。きっと縁のある相手が現れる」
屋敷さんはそう言ってから目配せするように大将を見ていた。大将はそれを見て頷いた。
「じゃあ、わしは、そろそろ店の準備に戻るな。屋敷さん、すまんがよろしくな。島崎くん、後は頑張ってな」大将はそう言って立ち上がった。
「はい、大将ありがとうございます」立ち上がり深々と頭を下げた。
「大将、ご心配おかけして申し訳ありません」屋敷さんも立ち上がり、深々と頭を下げた。
「うまくいけば、うちの店でパーティーでもしような。じゃあな」大将は右手をあげて事務所を出ていった。出ていく前に背中を向けたまま「よーし」と声をあげていた。仕事にもどる前に気合いを入れたのか、俺が落ち着いたので安心して声をあげたのかはわからない。
大将を見送ってソファに腰を下ろした。
「それじゃ、続きを始めるか」
「はい」
「これから紹介する女性について話す。名前は榊原早苗、年齢は二十九歳だ」
「あっ、はい」
「どう、気に入った」
「はい、気に入りました」
「そうだろうな。美人だからな」
「こんな美人が彼氏を探しているのが不思議です」
「美人なんだけど、たぶん難しいタイプだ」
「うまくいきますか?」
「わからん」
「美人だから理想が高いんですかね」
「いや、違う。自分に自信を持っていない。過去を引きずって頭で考え過ぎだ。そこはあんたと似てるかもしれない」
「そ、そうですか」わずかな時間で俺のことを理解していることに驚いた。
「そう、美男美女は頭で考え過ぎる。考え過ぎるから、大将のように好きだという感情だけで動けない。嫉妬のような悪い感情を出してしまう」
「確かに、俺も考え過ぎるところはあります」
「頭で考えられないくらい相手に熱をあげるといいけどな。榊原早苗もあんたなら熱を上げて夢中になるかもしれない」
「いやー、そんな、プレッシャーです」俺は頭を掻いた。
「そういうとこが、あんたも頭で考え過ぎなんだ。榊原早苗を本気で好きになれるか、なれないかだけ考えればいい」
「あ、はい、すいません」
その後、屋敷さんは榊原早苗について、この場で話せる範囲だけ話してくれて、俺のことも他にもいろいろと聞かれて、最後に写真を何枚か撮られた。
「いい出会いになればいいがな」屋敷さんがニコリと笑った。笑った表情は優しくて頼りになる人に見えた。
「はい、頑張ります」俺は背筋をピンと伸ばした。
「じゃあ、近いうちに連絡する」屋敷さんは腰を上げた。
「近いうちに、榊原さんを紹介してもらえるんですか」
「そうだな、そのつもりだ。島崎さん、あんたはいい男だ」
「あっ、はい、そうですかね」右手で後頭部を掻いた。
「それじゃ、今日はありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます。失礼します」
俺は婚カツ屋を後にした。エレベーターで一階まで降りて焼鳥屋サチに顔を出した。開店の準備で忙しそうにしていた。忙しいのに、俺の為にわざわざ婚カツ屋に顔を出してくれたことを思うと胸が熱くなった。
「大将、さっきはありがとうございました」
「おー、どうだ、うまくいったか」
「はい、なんとか」
「美人の姉ちゃん、紹介してもらえるのか」
「はい、大将のおかげです」
「そうか、屋敷さんは、あんなだけど、いい人だ」
「はい」
「いつ、見合いするんだ」
「また、連絡してくれるそうです」
「よーし、楽しみだな」
「はい、楽しみです。本当にありがとうございます」
もう一度深々と頭を下げて焼鳥屋サチを後にした。
そして次の日、屋敷さんからメールが届いた。今度の土曜日の十五時に見合いをするから来てくれという内容だった。その日は予定がなかったので、わかりましたと返信した。
今日は榊原早苗さんとお見合いの日だ。革靴をピカピカに磨いて、お気に入りのスーツに袖を通した。自宅を出る前に、フッと息を吐き、気合いを入れた。
婚カツ屋に行く前に一階のサチを覗いた。大将とおかみさんが店の準備をしていた。
「おー、島崎くん、今日が見合いだってな」カウンターで仕込みをしていた大将が出てきて俺を頭のてっぺんから爪先までみた。
「今日は気合い入ってんな」と笑った。
「はい、一張羅です」俺は笑った。
「頑張ってな」トントンと大将が俺の肩を叩いた。
「はい、じゃあ行ってきます」頭を下げてサチを出て婚カツ屋へエレベーターにのった。
婚カツ屋の事務所の前に立つと中から声が漏れていた。女性の声が聞こえた。榊原早苗さんの声だろう。色気のある声に胸が跳ねた。トン、トンと強めにドアをノックした。中から「どうぞ」と屋敷さんの声がした。ゆっくりとドアを開けて緊張しながら中に入った。静かにゆっくりとドアを開けた。
目の前に美しい女性が立っていてた。この女性が榊原早苗さんだ。「こんにちは」と頭を下げた。榊原さんも「こんにちは」と言って頭を下げた。顔を上げたら目が合った。榊原さんが、はにかみ笑みを浮かべていた。先日焼鳥屋で見た写真通りの美しくて、可愛い表情にまた胸が跳ねた。
「じゃあ、島崎くんは、ここ座って」屋敷さんがソファをあけてくれた。屋敷さんは榊原さんにも座るように声を掛けていた。
「あっ、はい、失礼します」緊張したままソファに腰をおろした。目の前にいる榊原さんに目を合わすことが出来なかった。無意識のうちに拳を握っていた。手のひらは汗でベトベトになっていた。
「じゃあ、紹介しとくわ。こちらが、榊原早苗さんだ」屋敷さんだけがリラックスしている。
「榊原早苗です。よろしくお願いします」榊原さんも緊張しているように見えた。
「島崎康史くんだ」
「島崎康史です。こちらこそよろしくお願いします」
「どうだ、写真どおりの美人だろ」
「そうですね、写真より実物の方が美人です」しっかり顔を見る余裕はないけれど美人のオーラを身体中に浴びていた。
「島崎康史くん、いい男だろ」
「は、はい、素敵な方です」榊原さんが視線を向けてきた。榊原早苗さんに見られて、恥ずかしく、どんな顔をすればよいのかと戸惑った。頭を掻いてペコリと頭を下げた。
「ここでしばらく話するか、それとも、いきなり二人っきりでデートするか」屋敷さんがそう言って、にやりと笑った。
屋敷さんの言うとおり、すぐに外でデートしたかったが、榊原さんの気持ちを確認した。「どうしましょうか?」
榊原さんは、おまかせすると言うので、すぐに外に出てデートすることにした。
よーし、きっとうまくいく。今日は楽しむぞ。