私は小説に興味を持ち、読むだけでなく書けるようにもなりたいと思っています。
超短編が主ですが何作か書いてみました。
しかし、文章が味気なくなってしまいます。
そこでプロの小説家の文章を参考にしようと思いここに残しています。
今回は横山秀夫さんのクライマーズハイです。
クライマーズハイ 横山秀夫
道の真ん中を歩いていた燐太郎の体がふっと右に避けた。それが合図だったのだ。悠木は息を呑み、その場に立ち竦んだ。眼前に、黒々と聳え立つ岩の要塞があった。
いや、実際にはまだ遥か遠方にある。なのに、圧倒的な岩の質感が視界のすべてを奪ってこちらに迫ってくる。上越国境の稜線が真一文字に宙を切り裂き、その上の空は圧縮されでもしたかのように狭い。壮観というのとは違う。威圧的だ。
五十人の顔が悠木に向いていた。直後、その人数分の声が合わさり、地鳴りとなって大部屋を揺るがした。
この先の長い戦いの決意を固めるように、みな無言で映像に見入っていた。この山で五百二十四人の人間が死んだ。この輝く山で。
静かなフロアに小さな声の雨粒が落ち、次第に雨足が強まり、やがては土砂降りの声となっていつも通りの大部屋へと戻っていった。
七時半を回っていた。編集局の大部屋には朝日が射し込み、早朝出勤の局員が舞い上げたミクロの埃を映し出した。
喧騒は相変わらずだが、殺気だったところがない。昨日まで部屋中を包んでいた、ヒリヒリとするような乾いた空気が、微かだが湿りけを含んでいるようにも感じられる。ひとことで言うなら、それは「日航以前」の大部屋の表情に近かった。
自分の靴音だけが反響するがらんとうの廊下を抜け、食堂に入ると、天窓のある窓際の席に白いTシャツ姿の若い女が座っていた。
ひどく童顔だが、黒目がちの瞳に力と確かな知性が感じられて、どうにか歳相応に見える。
悠木は午後十時前に北関本社を出た。昼間、容赦のない陽射しに晒され続けた空気は、どこにも逃げ場がないのか、この時間になっても重たいガスのごとく辺り一面に垂れ込めていた。