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人生も後半戦

人生も後半戦になったら、これまでの生き方に後悔することもあります。しかし、後悔しても仕方ない。この先楽しく生きるためにいろんなことに挑戦

⑦婚カツ屋という名のちょっと変わった結婚相談所

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 ラーメン屋「サントゥール」店長

 鶏ガラをふんだんに使い、じっくりと煮込んだ黄金色のスープがてらてらと輝いている。その中にストレートの細麺が気持ち良さそうに浮かぶ。鶏ムネのチャーシューが上品に横たわる。こんなラーメンを目にしたのは、はじめてだった。これまでラーメンと言えばインスタントラーメンか高校時代の部活の帰りに行ったチェーン店の豚骨ラーメンくらいしか知らなかった。
 大学生になり小遣い稼ぎの為はじめたラーメン屋のアルバイト。最初は小遣い稼ぎのためだけだったが、その店のラーメンの見た目と味に魅せられてしまった。ラーメンだけでなく、そのラーメン屋の店長にも魅せられた。尊敬し憧れていた。店長は、より美味しいラーメンをお客様に提供するためにと、日々研鑽していた。店の休業日には他のラーメン屋に行って刺激をもらってきたり、ラーメン屋以外の飲食店に行ってラーメンのヒントを見つけたりしていた。店長は頭髪が短く細く鋭い目をしているので、怖い人に見えるのだが、お客様から美味しかったと言ってもらった時は、その細い目を一段と細くして目尻を下げた。その時の店長の顔が大好きだった。店長のそんな姿を見て、私も将来、店長のように美味しいラーメンを作ってお客様に喜んでもらいたい。一国一城の主になって、大変だけど夢を持った仕事がしたい、そう思うようになっていった。
 店長は、ラーメン屋をはじめたいならいつでも教えてやる、と言ってくれた。その時、自分が作ったラーメンを美味しそうに食べてくれるお客様を想像して興奮した。
 そんなラーメン屋の夢を持ちながら大学生活を過ごしていたが、両親にラーメン屋をやりたいと相談することは出来なかった。両親は私が大学を卒業してから普通に就職して安定した生活をすることを望んでいると思うと、ラーメン屋をやりたいとは言えなかった。ラーメン屋の夢を胸の奥にしまいこんだまま就職活動をはじめ、そして、ある会社に就職が決まった。就職した会社は大手ではないけれど安定した良い会社で、両親も喜んでくれた。その後、順調な社会人生活を過ごしていた。彼女も出来て、このまま結婚して幸せに暮らすのだろう。ラーメン屋になりたいという夢は、このまま顔を出すことなく、消えていくのだろうと思っていた。

 三年前のことだった。結婚まで考えていた彼女にフラれてしまった。その後、消えたと思っていたラーメン屋の夢が大きく膨らんで抑えきれなくなり仕事を辞めてしまった。
 大学時代にアルバイト先の店長に修行させてほしいとお願いに行くと、店長は快く引き受けてくれた。店長の下で修行をし、このラーメン屋『サントゥール』をオープンさせた。この場所も店長が紹介してくれた。店長には、ずっとお世話になりっぱなしで、今でもアドバイスしてもらい悩みも聞いてもらっている。店長は私より五歳上だ。私がアルバイトしている頃は、二十歳代だったことに驚かされる。

 開店の前日、この店に両親を呼んではじめて私の作ったラーメンを食べてもらった。父親は「これは美味い絶対繁盛する」と言ってくれた。母親は黙ってラーメンを味わっていた。母親が食べ終わって顔を上げた時、目を潤ませているのがわかった。それを見て私の胸が熱くなった。会社を辞めてラーメン屋をやりたいと両親に相談に行った日のことを思い出した。父親の前に正座をして頭を下げた。

「なに、仕事を辞めて、ラーメン屋だと」父親の眉間の皺が怖かった。いつも物静かで優しい父親だ。めずらしく大きな声だった。
「大学の時、アルバイトしてたラーメン屋の店長にお世話になろうと思ってる。そこで修業してラーメン屋を始めたいんだ」
「その店の店長は了承してくれているの。ラーメン屋でうまくやっていけそうなの」母親は心配そうな表情を向けた。大学まで行かせてもらっているのに申し訳ないと私は唇を噛み締めた。
「わがままでごめん」おでこを床に押しつけた。
「お前の人生だ。好きにしたらいい」父親の声は少し震えているようだったが優しく聞こえた。
「いいのか」顔を上げて父親の顔を見た。
「当たり前だ」
「けど、俺、何の親孝行もしていない親不孝者だし、本当にごめんなさい」
「お前が親孝行しないいけないと、気を使ってどうする。それこそ親不孝だ」
「親孝行しようと思うのが親不孝なのか?」
「そうだ、お前は親孝行を何だと思ってるんだ」
「うーん、仕事も収入も安定して心配かけないで、結婚して孫の顔を見せることかな」
「まぁ、それも親孝行かもしれんがな。けど、お前がその生活を望んでいたらの話だ。お前が幸せを感じてなかったら、何をしても親孝行じゃない」
「そうね、お父さんの言う通り。私たちにとってあなたが幸せになってくれることが親孝行だから、あなたがラーメン屋をやりたいなら、私たちは絶対応援する。ただ、わたしは心配なだけ。でも親に心配かけるのも親孝行かもしれないわ」
 その時、奥歯を噛み締めて涙を堪えた。

 開店してお客様もついてくれた。やっと店も軌道に乗ってきた。両親には感謝しかない。ラーメン屋をはじめて、よかったと思うことは、私が人に感謝できるようになったことだ。たくさんの人に支えてもらっていることが実感できるようになった。両親、修業させてもらったラーメン屋の店長、この店に来てくれるお客様、みんなに感謝だ。そんな気持ちで過ごしていると、何をやっていても楽しくなる。新しいエネルギーが自然とわいてくる。

 閉店間際になり、お客様が途切れた。今日は暇だったから、これで今日は終わりかなと片付けをはじめた時にドアの開く音がした。
「まだ、大丈夫か」そう言いながら常連の男性のお客様が入り口を半分開けて顔を覗かせていた。
「あっ、はい、いつもありがとうございます。大丈夫です」
「いつもの鶏塩ラーメン、たのむわ」お客様がカウンター席に座りながら注文ををした。このお客様は週に一、二度は来てくれる。注文するのは、いつも鶏塩ラーメン、この店の人気商品だ。
「はい、ありがとうございます。今日は遅い時間ですね。お仕事忙しいんですか」
 いつもは昼過ぎに来てくれるのに、今日は閉店間際に来てくれた。
「閉店前に悪いね」
「いえ、とんでもないです。本当に有難いです」
 お客様の前に冷えた水を置いた。
「今日は疲れたわ」お客様はそう言って、水を口に含んだ。
「やっぱり、お仕事忙しいんですか」
「いや、そうでもないけどな。暇過ぎて疲れたんだ、ハハハ」
 少し怖い目をしているが笑った目は優しくなる。修業したラーメン屋の店長を思い出す。この人もプロの目をしているなと羨ましく思った。
「はい、どうぞ、鶏塩ラーメンです」
「おー、やっぱりうまそうだな。いただきます」お客様は手を合わせてから割り箸をパンと割った。
「どうぞ、ゆっくり召し上がって下さい」
「ここのラーメンは、本当に旨いよな」麺を箸で持ち上げながら言った。
「ありがとうございます」
「最初はラーメンは豚骨スープでチャーシューたっぷりのコテコテじゃないと美味くないと思ってたんだけど、この鶏塩ラーメンはやさしいスープなんだけどコクがあってクセになるんだよな。それにこの鶏チャーシューも美味すぎるわ」お客様が鶏チャーシューを箸で持ち上げ私の方を見て微笑んだ。
「そう言ってもらえて嬉しいです。ここでラーメン屋をはじめて良かったと心の底から思います」
「あんた幸せそうだな」
「ええ、お客様のような方が毎日沢山来店してくれて本当に幸せです」
「そうか、良かった。じゃあこれからも遠慮なく食べにくるわ」
「はい、お願いします」深々と頭を下げた、
 お客様はスープも全て飲み干してくれている。ラーメン鉢がお客様の顔に貼りついているように見える。この瞬間が、たまらなく嬉しい。
「はぁー、旨かった」スープを飲み干してからラーメン鉢をカウンターにトンと置いて、私の顔をじっと見て、微笑みかけてくれた。
「ありがとうございます」ペコリと頭を下げ、お客様のグラスに水を足した。
 このお客様は、いつもはお昼過ぎに来て、ぶっきらぼうに黙々とラーメンを食べて帰っていく。話しかけづらい雰囲気だったけど、今日は違った。私からも話かけたし、お客様からもよく話しかけてくれた。そして、今はずっと私の顔を見ている。
「この店のサントゥールて名前、ラーメン屋らしくないよな。どんな意味があるんだ」
「あっ、は、はい。サントゥールはイランの打弦楽器だそうです」
「イランの打弦楽器か。どんな楽器だろうな」
「実はその楽器を見たことはないんです」
「そうか、この店の名前は、そんな楽器の意味じゃないんだよな」
「えっ……」なぜ、この店の名前を気にしているんだろう。
「サントゥールはあんたの名前からつけたんだろ」
「へへへ、ばれましたか。そうなんです。特に深い意味もなく決めちゃいました」
「店長さんの名前って、高田聡なんだね。サトルからサントゥールか。なるほどな」壁に貼ってある【衛生責任者 高田聡】という札に視線をやりながらお客様が苦笑いを浮かべていた。
「そうです。両親が頭が良くなってほしいと思ってつけてくれたんでしょうね。裏切ってるかもしれませんけど」
「この店に何度も食べに来てたのに店長さんの名前知らなかったわ。なんで気づかなかったんだろう。すまんな、申し訳ない」
「いえ、常連のお客様でも、その店の店長の名前なんて知らなくて当たり前ですよ。メニューや店の名前に興味があっても、店長の名前なんて興味ないでしょうからね」
「そうかもしれないけど、そのおかげで遠回りしたわ」
「遠回り?」私は首を傾げた。
「そう、遠回りだ。けど、それも必要だったのかもしれない。そのおかげで俺にもいい出会いがあった」じっと私の顔を見ていた。優しくそして澄んだ瞳を向けてきた。
「店長、結婚は?」
「えっ、いえ、まだ、独身です」
「好い人はいるのか」
「いえ、いません。この店が恋人ですかね」そう言ってから、昔の彼女を思い出した。自分にはもったいないくらい綺麗な女性だったなと宙に視線をやった。
 
「榊原早苗と別れてからは、誰とも付き合ってないの」
「えっ……」一瞬耳を疑った。びっくりして言葉が出なかった。お客様の顔をまばたきもせずにじっと見た。お客様の口角がキュッと横に広がり口元に深い皺が入った。
「あー、すまん、驚かせたかな」
 なぜ、このお客様は榊原早苗を知っているんだろうか。
「お客さん、榊原早苗と知り合いなんですか」
「まぁ、ちょっとな」
「そうなんですか」どう返していいかわからなかった。榊原早苗が今どうしているのか知りたい気持ちもあるが、知るのが怖い気持ちもあった。
「俺の仕事は婚活をサポートしてるんだよ」
「こ、婚活……、ですか」
「そう、婚活。それで、今日はあんたの婚活のサポートもしたいなと思って来たんだ。もちろんラーメンも食べたかったけどな」
「私の婚活のサポートですか」
「そう、そして、そのお相手が榊原早苗だ」
「えっ」
『ガチャーン』
 私は驚いて、手にしていたラーメン鉢を床に落としてしまった。
 
 お客様の名前は屋敷史郎と言って、隣の焼鳥屋の入る建物の三階で『婚カツ屋』という結婚相談所をやっていて、そこに榊原早苗が来たらしい。榊原早苗の相手は、なかなか決められなかったそうだ。相手が決まらない理由は、私の存在だと屋敷さんは言う。榊原早苗は今も私のことを忘れていないから、たぶん誰を紹介しても無理だろう、私との冷却期間にケリをつけないと、彼女は前に進めないと言う。
 私をいろいろと探偵のように探してくれたらしいが、なかなか見つからなかったそうだ。修業したラーメン屋の店長の妹にこの場所を教えてもらい、今日訪ねてきた。まさか目と鼻の先にある行きつけのラーメン屋にいたことに驚いていた。

 暖簾を外し、外の照明を消した。冷蔵庫からビールを一本取り出した。屋敷さんの前に腰かけて、屋敷さんにビールを注いだ。屋敷さんも私にビールを注いでくれた。
「じゃあ、あんたを見つけたことに乾杯だ」二人でグラスを合わせた。

 その後、榊原早苗と付き合っていた頃の話をした。
「早苗と結婚しようと決めて、ラーメン屋はあきらめるつもりでした」
「夢より榊原早苗を選んだわけだ」
「そんなカッコいいものじゃありません。脱サラして失敗するのが恐かっただけです。両親にも心配かけますから。それに、就職した会社も好きでしたし仕事も順調でしたから、このまま結婚して早苗と幸せな家庭を作るのもいいなと思ってました」
「それがなぜ、結婚しないで、こうしてラーメン屋をはじめることになったんだ」
「早苗にフラれたからです。私が夢を追いかけて早苗から離れたわけではありません。早苗にフラれてすぐに職場で異動の話がありました。異動先が遠方だったので、そのまま遠くへ行って心機一転しようかとも考えましたが、ラーメン屋をやるチャンスかもしれないとも思いました」
「で、ラーメン屋を選んだわけだ」
「そういうことです。結果オーライです。今はラーメン屋をやって良かったなと思ってます」
「榊原早苗とは、一度も連絡してないらしいね」
「そうですね、ラーメン屋も甘い仕事ではありません。アルバイト時代の店長を見ていてわかります。ラーメン屋に集中しようと決めましたから」
「なぜ、榊原早苗と結婚してから、ラーメン屋をやろうとは思わなかったんだ」
「さっきも話したように、ラーメン屋も厳しい世界です。うまくいかなかったら、早苗に辛い思いをさせてしまうと思ったからです。結婚したらラーメン屋はやるつもりはありませんでした」
 屋敷さんは腕を組んで、宙に視線をやっていた。何かを考えているようだった。しばらくして口を開いた。
「それはあんたの勝手な思い込みだったんじゃないかな。榊原早苗はあんたと結婚してラーメン屋で失敗しても辛いとは思わなかったんじゃないかな。親孝行の話もそうだけど、相手の気持ちや立場を自分で勝手に決めてるんじゃないか。もっと自分の思いを相手に伝えることも大事だ」
「今思えば、そうだったかもしれません。早苗と結婚したら幸せだと思っていたんですが、お互い結婚を考えるようになって、どこかで、ラーメン屋の夢を捨てきれない自分がいたんです。早苗はそれを感じてたんだと思います。私も彼女の前で、ラーメン屋はあきらめると何度か口にした記憶があります。その時は前向きな気持ちで、ラーメン屋の夢より早苗を選ぶという気持ちだったんですが、早苗にとっては、自分のせいで夢を捨てるんだと思ってしまったのかもしれません」
「今から榊原早苗とやり直す気はないのか」
「そうですね、出来ればやり直したいです。結婚したいです」
「そうか、じゃあ、近いうちに榊原早苗に会ってくれ」
「えっ、ほ、本当ですか」
「あー、俺が榊原早苗に連絡する。ここに連れてくるから、その時はよろしく頼む」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございます」

 まさか、早苗と会える日が来るとは思っていなかった。屋敷さんが出ていってから、椅子に座りこんだ。三年前のことを思い出し宙を眺めた。そして、知らない間に眠ってしまった。
 夢を見た。結婚式をあげている夢だった。目を覚ますと、宙に早苗と父親と母親の笑顔が残っていた。

 
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