森沢明夫さんのミーコの宝箱 表現、描写
今日はクリスマスイブ。
街も、人も、どこか夢見がちで浮わついた空気感を発散させていて、同時に、なんだかすごく忙しそうに見える。
翌朝、プレゼントに気づいたときのチーコの顔に咲く満面のスマイルときたら、もう何物にも代え難いほどの、それは「わたしへのプレゼント」だった。
わたしは赤と緑と金色に華やぐ表通りを右に折れて、少しドブみたいな臭いのする路地へと入った。
ウェイトレスが戻ってきて、アイスカフェオレとオレンジジュースと伝票を置いていった。わたしたちはそれぞれのストローに口をつけ、冷たい液体を喉に流し込む。
ナベちゃんが小首をかしげた拍子に、煙草の先端から灰が、ぽとり、テーブルの隅っこに落ちた。ナベちゃんはその灰にフッと軽く息を吹きかけて、床へと落とした。
それを見たわたしは、なぜだろうーー不覚にも心臓のあたりがキュッと苦しくなってしまったのだ。なんとなく、吹き捨てられた煙草の灰に自分を重ねてしまったのかも知れない。
わたしは曖昧に微笑んでオレンジジュースを口にした
わたしは、理由の分からないため息をこらえながら頷いた。
和家具の制作と修理をするつましい工房に、よく乾燥した桐の匂いが満ちていた。香ばしくて、どこか甘いような、いい匂いである。板敷きの床には、鰹節のように薄い桐の鉋屑(かんなくず)がはらはらと散らばっている。削りたてのそれらが、このかぐわしい匂いを発散しているのだ。
外には背筋が伸びるような師走の風が吹いていた。
近所の家々から漂ってくる夕げの匂いを、かぎながら、私はのんびりと路地を歩く。
泣きはらした赤い目で私を見上げた。頬には涙の伝った痕が白く残っている。
とても古いけれど、コチコチと正確に時を刻んでくれる柱時計の音が、見えない雪のように茶の間に降り積もっていく。
ミーコの白い頬から、小さな笑みがすうっと消えていくのが分かる。日陰でひっそりと咲いていた花が、みるみるしぼんでいくみたいだ。
わたしの口から、ため息が漏れた。
パッとしない、真っ黒なため息だった。
塗り替えたばかりの明るいクリーム色の校舎だって、わたしの目には灰色に沈んだコンクリートの廃墟に映ってしまう。
噂ーー。
その単語を耳にした瞬間、わたしの胸の隅っこに嫌な熱が生じた。熱は、ゆっくりと胸から胃へと降りていき、胃のなかでもやもやとした苛立ちに変わった。
この、じわじわと内側からこみ上げてくる汚物みたいな衝動を、昔みたいにそのまま文章に置き換えられたなら少しは気分もすっきりするのではないか。
わたし、愛子さんというひとが嫌いーー。
そう書こうとしてボールペンの先を紙の上にのせたとき、なぜだろう、わたしの内側に異物が生じた。精密な機械に砂つぶが噛んだような、なんともいえない違和感を覚えたのだった。
後ろめたさと嬉しさがないまぜになって、わたしの心のなかで、ぬるま湯みたいな感情が揺れた。
ひりひりした冬の風が正面から吹きつけてきた。足元の乾いた落ち葉たちが、その風にくるりと舞う。わたしは首をすくめて、「さむ……」と小声でつぶやいた。
たいして強くもないのに飲み過ぎたせいか、街のきらめきが普段より三割増しに感じられて、僕は思わず白い息を吐き出した。ため息だ。
頬から唇を離したら、淡い光のなか、ミーコのまぶたが花びらのようにゆっくりと開いた。
「ふーん」
ミーコの「ふーん」には嘲(あざけ)りの色が芥子粒(けしつぶ)ほども含まれていない。ただ単純に「そうなんだ」と理解しただけの空っぽな「ふーん」だ。
「あはは。昔とおんなじだ」
ミーコが小さく笑ったとき、しずくが頬を伝って、古びたコンクリートの床に落ちた。
室内が、ふと静かになる。
だが、すぐにパタパタと軽快な足音を立てて、チーコがリビングに飛び込んできた。そして、俺を見るなり、つやつやの大きい目をいっそう丸くして、無垢な笑顔を咲かせた。
あの頃、思春期だったわたしをとりまいていた世界は、色彩に欠けていた。一分の隙もなく、濁ったグレーで塗り潰されていたのだ。